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- 2026年08月13日 05:04
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第65話 母から受けた心の傷
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第64話 告知の壁』前回のお話↓『第63話 生き地獄の日々』前回のお話↓『第62話 大人の世界??』前回のお話↓『第61話 カウントダウン』前回のお話↓『第60話 二度目の抗がん…ameblo.jp
母親に告知をする――。
その話をする中で、母はどうやら自分がこれまで僕にしてきたことを、ほとんど覚えていないらしいことが分かった。
うちの母は、音楽大学のクラシック科で非常勤講師をしていました。
専攻は打楽器。
自宅でもピアノやわらべ歌、打楽器などを教えていて、近所ではちょっとした有名人でした。
年に数回はコンサートも開いていました。
周りから見れば、音楽を教える立派な先生だったのかもしれません。
しかし――。
僕にとっては、最低の母親でした。
僕は生まれてすぐ、母親に首を絞められて殺されそうになったところを、当時まだ生きていた祖母に助けられたそうです。
そのため、幼少期は母と離れて暮らしていたらしいです。
小学校に入ってからも、母は基本的に仕事で家にはほとんどいませんでした。
家にいたとしても仕事ばかり。
僕が母親にかまってもらったという記憶は、ほとんどありません。
それだけではありません。
僕の人生は、すべて母親が決めていました。
母に逆らおうものなら、打楽器のバチで頭を叩かれたり、家の外に4時間以上放り出されたり……。
時には、包丁が飛んできたこともありました。
そして、母が怒った時に言う決まり文句が、この3つでした。
・「あんたなんか、生まれて来なければ良かったのに!!」
・「あなたは悪魔の子!!」
・「あんたは、お父さんがどーーーしても産んでくれって頼むから、しょうがなしに産んであげたの!! だから文句はお父さんに言ってね!! 私に責任はないわ!!!」
僕は大学生になるまで、本気で思っていました。
「世の中の子どもは、みんな親からこういうことを言われて育っているんだ」と。
大学のコンパで、王様ゲームをした時のことです。
「親に言われてショックだったこと」というお題が出ました。
周りの友達が話したのは、
「エロビデオの音、下げてくれる?」
とか、
「あなた、こんな派手なブラつけてるの? ベージュ色にしなさい!!」
といった話でした。
そこで僕も、自分が母親から言われてきた言葉を話しました。
すると――。
その場が、一瞬で静まり返りました。
僕は、その時になって初めて気づきました。
「……あれ?」
「もしかして、みんな親からこんなことを言われているわけじゃないのか?」
本当に、僕は知らなかったのです。
それに、僕は昔から人付き合いが苦手でした。
小学校時代の僕の世話をしてくれていたのは、2年生までは母方の祖母・源千秋。
祖母が亡くなってからは、近所に住んでいた「樽金のおばちゃん」と呼ばれていた方が、僕の面倒を見てくれていました。
そして、これは過去のブログにも書きました。
第7話、第11話にも出てきますが、僕は中学生の頃、部活動に打ち込んでいました。
実力は、市内大会優勝。
地区大会ベスト4。
県大会では個人32位。
そして、西日本大会ベスト8の選手を倒すこともありました。
僕は部活一辺倒の生活を送り、スポーツ推薦で高校へ進学することを目指していました。
この頃の僕は、本気でオリンピックも夢じゃないと思っていました。
そして夏の大会が終わり、顧問の先生に推薦について聞きました。
すると先生から返ってきた言葉は、
「どこからも来ていないな!! 勉強せい!!」
でした。
僕は慌てました。
そこから死に物狂いで勉強し、何とか大阪の私立高校へ入学することができました。
大学まで附属している高校でした。
ちなみに、この高校も中学3年生の時の担任から紹介されたのですが……。
実は最近になって、その話にも母親が関わっていたことを知りました。
本当は、母親が担任の先生に「この高校を勧めてほしい」と言っていたのだそうです。
そして迎えた卒業式の日。
僕は、最後に顧問の先生へ挨拶に行きました。
すると先生は、僕にこう言いました。
顧問:「本当は4つくらい推薦が来ていてんけどな。お母さんが『絶対に許さん』言うて、お前に推薦が来たことを黙っていてくれと頼まれたんや。すまんな。
でも、お前なら高校でもそこそこ通用すると思うから、やるんやったら頑張れよ!!」
僕は、その場で頭が真っ白になりました。
家に帰ってから、母にそのことを尋ねました。
すると母は、こう言いました。
母:「将来サラリーマンになるあなたに、スポーツ推薦は必要ないでしょ!!
ちゃんと大学に入って、企業に就職してもらわないと。
今度行く高校も部活があるみたいだから、そこでしなさい!!」
僕は、返す言葉がありませんでした。
そして迎えた、高校の入学式の日。
僕は部活動の勧誘場所へ行き、卓球部を訪ねました。
そこで係の人に、
「卓球部ですか?」
と尋ねると、
職員:「卓球部!? あぁ、去年まではまともに活動していたんだけど、今年は確か部員が2人しかいなくなったから、現在は休部中だったはずだよ!!」
そう言われました。
その瞬間――。
僕の夢の1つが終わりました。
本気で目指していた夢。
それが、自分の実力ではなく、母親の判断によって消えてしまった。
だから僕は――。
母親が、この世で一番嫌いなのです。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月12日 05:03
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第64話 告知の壁
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第63話 生き地獄の日々』前回のお話↓『第62話 大人の世界??』前回のお話↓『第61話 カウントダウン』前回のお話↓『第60話 二度目の抗がん剤』前回のお話↓父が入院してから、その衰…ameblo.jp
真白医師から【グループホーム】への推薦書を書くことを断られてから、3日ほど経った頃。
金山先生から連絡がありました。
この頃になって知ったのですが、金山先生は母の親友で、母と同じ音大の教師を兼ねながら、訪問介護・居宅介護支援事業所の経営者もしているとのことでした。
だから、介護保険のことやケアマネージャーの紹介など、これまで色々と相談に乗ってくれていたのです。
金山先生から、
「高齢者賃貸住宅で引き受けてくれるかもしれない所があるから、話を聞きに行かない?」
と言われました。
【高齢者賃貸住宅】とは、高齢者が安全・安心に暮らせるように「バリアフリー化」され、「緊急時対応サービス」などを利用できる賃貸住宅のことです。
高齢者の生活を支援するため、任意の付加的サービスを提供したり、社会福祉施設などを併設したりすることで、より安心して住み続けられるようになっています。
平たく言えば、【一人暮らし用の介護施設マンション】のような所です。
一般的には、まず【高専賃(高齢者賃貸住宅)】があり、そこに住んでいる人が必要に応じて病院や介護サービスを探したり、紹介してもらったりする形が多いようです。
しかし、今回紹介してもらった所は、もともと病院が先にあり、その病院に併設する形で【高専賃】が建てられていました。
そのため、わざわざ病院を探さなくても、そこの先生やスタッフが診察や介護に関する手続きをサポートしてくれる。
僕にとっては、まさに願ってもない施設でした。
ただし、最大の問題が二つありました。
【インスリン投与の見守り】と、【母の自殺願望】です。
この二つの問題をどうするのか。
僕は、それが一番心配でした。
しかし、話を聞いてくれた受け入れ先の事務長とケアマネージャーは、
「24時間体制ではないにしろ、定期的に見回りはします」
「食事の時間帯にはヘルパーを入れるので、インスリンを打つ介助まではできませんが、誤って打たないように見守ることはできます」
「それに病院についても、うちが経営しているクリニックの内科の先生が訪問診察をしますし、他の分野についても提携している病院があります」
「前みたいに、どこも紹介状を書いてくれなくて診てもらえない、なんてこともなくなります。そこは心配しなくて大丈夫ですよ」
そう言ってくれました。
僕は、その言葉を聞いて少しだけホッとしました。
そして事務長が、
「一度、お母さんと面接をしましょう。まあ、聞いている内容なら要介護認定は出るでしょうから、大丈夫でしょう」
そう言いました。
その瞬間――
僕はハッとしてしまいました。
そう……。
母には、今の状況を何も伝えていないのです。
母は、自分がこれからどこへ行くのかも。
なぜそこへ行かなければならないのかも。
何も知りません。
僕は、
「わかりました。要介護認定が出次第、受け入れをお願い致します」
そう伝え、その場を後にしました。
受け入れ先は、ようやく決まりました。
これで一つ、大きな問題は解決した。
……そう思いました。
しかし、本当の意味での最大の難関は、ここからでした。
母に、今の状況をすべて伝えること。
そして、母自身に施設へ行くことを納得してもらうことです。
帰り道、僕はそのことばかり考えていました。
そんな僕に、金山先生が言いました。
「告知しましょう……可哀想だけど、それしかないわ」
「だって、あなたがお母さんと暮らそうとしたら、あなたはお母さんが生きている限り、24時間ずっと一緒にいないといけないのよ」
「それに今は、お父さんの件だってあるし……」
僕は何も言えませんでした。
ただ、黙ってうなずきました。
母に真実を伝える。
それが、次に僕が越えなければならない壁でした。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月11日 05:05
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第63話 生き地獄の日々
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
【認定調査】が終わった後のことでした。
母を【若年性認知症】、【精神疾患】と診断してくれた真白先生が、こう言いました。
真白先生「今の施設(緊急避難)に入ってから、血糖値も精神状態も落ち着いているね。この分なら、認知症専門のグループホームに入らなくてもいいんじゃない?」
僕は絶句してしまいました。
なぜなら、この時点ですでに母には【若年性認知症】という診断が下り、介護保険を取得するための【認定調査】も終わっていました。
僕の中では、恐らく【要介護1~2】程度の認定が出るだろうと考えていました。
だからこそ、母を受け入れてくれる施設を必死になって探し続け、ようやく1件、受け入れについて前向きに話を聞いてくれるグループホームが見つかっていたのです。
それなのに――。
ここで、また問題が出てきました。
介護施設は、基本的に【要介護】という5段階の認定を受け、介護保険の対象となっている人であれば、一定の条件のもとで受け入れが可能です。
しかし、母にはもう一つ大きな問題がありました。
【糖尿病】です。
当時の母は、1日に数回、基本的には食事のたびに【インスリン】の注射を打つ必要がありました。
介護職員ができることには限りがあります。
インスリン注射は医療行為にあたるため、介護職員だけで対応することはできません。
そのため、常時看護師が対応できるような体制が整っていない施設では、インスリン注射が必要な母を受け入れてもらうことは非常に難しい状況でした。
しかも、24時間体制で看護師が常駐している施設は、当時の僕が探した限りではほとんどありませんでした。
母は、まさにその「受け入れが難しいケース」だったのです。
ただ、近年は医療も進歩していて、血糖値の状態が安定すれば、インスリン注射から服薬(飲み薬)へ切り替えられる可能性もありました。
そして、それができれば、母を受け入れてくれる施設の選択肢も広がります。
僕は、その可能性にかけていました。
しかし、この時点では、母の症状はまだそこまで回復していませんでした。
僕は先生に尋ねました。
僕「先生は、今の母の状態を見る限り、グループホームに入るための診断書や紹介状は書けないのでしょうか?」
真白先生「そうだね。糖尿病が悪化すると、認知症の症状が酷くなる傾向があることも分かってきたからね。血糖値のコントロールさえうまくいけば、わざわざグループホームに入所しなくてもいいと思うよ」
そして、先生は続けました。
真白先生「それに、お母さんはまだ58歳と若いからね。グループホームは平均すると70~80歳くらいの高齢者が多い場所だから、そこで生活することで精神的に追い詰められて、また自殺を考えてしまう可能性もある。グループホームはインスリン注射も難しいんでしょ?」
僕「でも、このままいけば、以前先生がおっしゃっていたように、服薬に切り替えられる可能性もありますよね?」
「だから、やっと1件、話を聞いてくれるグループホームが見つかったんです。服薬に切り替わった瞬間に入所できるように、今から段取りを進めているのですが……」
必死でした。
ここまで、どれだけ施設を探し回ったか。
何度断られたか。
それでも諦めず、ようやく見つけた受け入れ先でした。
しかし、真白先生の答えは変わりませんでした。
真白先生「あなたの事情は分かるよ。でも、僕は医者だからね。嘘を書くことはできないよ」
そして最後に、
真白先生「だから、別の手段も考えておいて頂戴ね」
そう言われました。
――目の前が真っ暗になりました。
「また振り出しなのか……」
せっかく見つけた道が、また閉ざされてしまったような気がしました。
母をどうすればいいのか。
どこへ連れて行けばいいのか。
そして僕は、また一から受け入れてくれる場所を探さなければならなくなりました。
僕は、心の中でこう思いました。
「母親に『あんたなんて生まれて来なければ良かったのに』と言われ続けてきた。
それでも僕が生きている理由は、あんたの面倒を見るためなのか?
だとしたら――
俺を殺してくれよ、神様。」
そう思いました。
それは、僕自身が限界まで追い詰められていた瞬間でした。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月10日 05:02
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第62話 大人の世界??
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
父が死にかけている一方で、僕は母親の受け入れ先を探し続けていました。
でも、見つかりませんでした。
……というより、見つかるはずがなかったのです。
理由は、母が介護保険の認定を受けていなかったからでした。
当時、介護保険は原則65歳以上が対象です。
母はまだ58歳だったため、対象外でした。
もちろん、40歳以上65歳未満でも16疾病に該当すれば介護保険を利用できる制度があります。
しかし以前、16疾病に含まれる糖尿病を理由に介護保険を申請するため、海王医大へ診断書の作成を依頼したことがありました。
ところが、その時は「異常なし」と診断され、申請は認められませんでした。
今思えば、面倒なことに関わりたくなかったのかもしれません。
そんな状況を見かねた金山先生が、ある日、真白病院の待合室で僕に声を掛けてくれました。
「創人君、こうなったら最後の手段を使いましょう。」
「最後の手段?」
「介護保険を申請して認定を受けるのよ。真白先生の正式な認知症の診断はまだ時間がかかる。でも認知症と糖尿病という事実はあるでしょう。それをもとに認定調査を受けて、要介護認定さえ受けられれば受け入れ先の幅はぐっと広がるわ。」
「でも認定調査って市の職員さんが来るんですよね。この中途半端に元気な母に要介護なんて出るとは思えませんが……。」
すると金山先生は少し声を落として言いました。
「これは最後の手段だけど、認定調査の時間は千夏さんに眠ってもらうわ。」
「えっ!?」
「本人には調査の日だと伝えてあるのに眠ってしまっている。仮に起こしても意識は朦朧としているはず。あとは善ケアマネジャーが普段の様子を説明してくれるから、創人君も話を合わせてくれればいいわ。」
正直、戸惑いました。
本当にこんなことをしていいのだろうか。
そんな気持ちはありました。
それでも、このままでは母を受け入れてくれる施設は見つからない。
当時の僕には、他に選択肢がありませんでした。
先生を信じて段取りを進め、3月27日、当時母がお世話になっていた緊急受け入れ先の施設で介護保険の認定調査を受けました。
認定調査の前、金山先生は母に睡眠薬を飲ませました。
母は眠気で意識が朦朧とした状態のまま、認定調査を受けることになりました。
その光景を見ながら、僕は「本当にこんなことをしていいのだろうか」と複雑な気持ちでいっぱいでした。
でも、このままでは母を受け入れてくれる施設は見つからない。
当時の僕には、それ以外の方法が思い浮かびませんでした。
結果が出るまで約1か月。
僕は良い結果が出ることを祈るしかありませんでした。
当時の僕は、
「これが大人の世界のやり方なのだろうか……。」
そんな疑問を抱きながら、金山先生にお礼を伝えました。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月09日 05:02
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第61話 カウントダウン
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
僕は相変わらず母の受け入れ先を探しながら、父が入院している病院へ見舞いに通っていました。
ですが、日に日に弱っていく父の姿を見るのが本当に辛く、毎日病院へ足を運ぶことはできませんでした。
気が付けば、お見舞いは3日に一度ほどのペースになっていました。
そんなある日。
父を以前から診てくださっていた、いささか先生がお見舞いに来てくださいました。
先生は病室へ入ると、父に優しく声を掛けました。
「顔色が家にいた時より良いですよ。この調子なら大丈夫かもしれませんね。」
父は少しだけ笑顔を見せ、その言葉を嬉しそうに聞いていました。
その姿を見て、僕も少しだけ安心したのを覚えています。
ですが、先生が病室を出られる際、
「創人くん、ちょっといいかな。」
そう言って、僕だけが廊下へ呼ばれました。
先生は少し間を置き、静かにこう言いました。
「お父さんと、たくさん話をしてあげてくださいね。」
「今は腹が立つことを言われても、それもいつか必ず良い思い出になりますから……。」
その一言で、僕はすべてを悟りました。
先生は父の前では、最後まで希望を持たせてくださいました。
でも、本当のことは僕にだけ伝えてくれたのです。
父と過ごせる時間は、もう長くない。
そう理解した瞬間、胸が締め付けられ、言葉が出ませんでした。
僕は病室へ戻り、何事もなかったかのように父と話をしました。
でも心の中では、
「もう、お別れの日が近づいている。」
そう思いながら、父の顔を見つめていました。
-続く-
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- 2026年08月08日 05:03
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第60話 二度目の抗がん剤
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
父が入院してから、その衰えは想像を超えるものでした。
今になって思えば、あの時、二度目の抗がん剤治療をやめて緩和ケアへ切り替えていたら、父はもう少し長く生きられたのかもしれません。
ですが、それは今だから思えることで、当時の僕たちは「少しでも可能性があるなら」と、その望みにすがるしかありませんでした。
父は担当医にこう話しました。
「何もせず、いつ起こるか分からない心筋梗塞を恐れながら死ぬより、抗がん剤に挑戦した方がええ。もしダメやったとしても、その時は諦めがつく。だから、やって下さい。」
その言葉を聞いた僕は、何も言えませんでした。
父が自分で決めた治療を、止めることはできなかったのです。
しかし、投薬からわずか5日後。
父の全身には赤い湿疹が広がり、顔中の皮膚がめくれ始めました。
さらに口の中には無数の口内炎ができ、食事をほとんど口にできなくなってしまいました。
それだけではありませんでした。
背骨へ転移していたがんの影響で、背骨の内側にある骨が二本砕けてしまったのです。
先生から、背骨は何枚もの骨が重なって支え合う構造になっていると説明を受けました。
その影響で父は完全な寝たきりとなり、自力で起き上がることさえできなくなってしまいました。
それでも父は諦めませんでした。
「ワシはまだやり残したことがある! このまま死ねるか! 絶対に家へ帰るんや!」
そう言って、痛みに耐えながら必死に食事を口へ運び、少しでも体力をつけようとしていました。
その姿を見るたびに、僕の胸は締め付けられるのでした。
-続く-
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- 2026年08月07日 05:01
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第59話 補助金と詐欺扱いと自主退職
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
僕が入社した会社は、A市が実施していた介護職育成プログラムを利用して採用を行っていた。
採用面接の前、社長から、
「一度ハローワークへ行き、この制度を利用できるよう手続きをしてください。」
と言われ、僕は指示どおり手続きを済ませた。
当時は、それが就職するために必要な手続きなのだと思っていた。
後になって知ったことだが、この制度を利用すると会社にはA市から補助金が支給される仕組みだった。
金額については、毎月約60万〜100万円ほどと会社で耳にしたことがあったが、これは当時聞いた話であり、正確な金額は分からない。
しかし、母の介護や父の看病の影響で僕の出勤日数が不足し、補助金の支給条件を満たせなくなった。
その後、会社からはA市より確認が入り、「補助金目当ての採用ではないか」という趣旨の疑いを持たれたと説明を受けた。
さらに社長は、
「面接の段階では、彼の家庭環境がここまで大変だとは聞いていなかった。」
と説明したという。
その結果、僕自身にも疑いの目が向けられることになった。
僕はA市へ事情を詳しく説明した文書を提出し、自分は何も偽っていないことを伝えた。
すると、A市から会社に対し、
「この状況で解雇するのは倫理的に問題があるのではないか。」
という趣旨で、休職という形も検討してほしいとの話があったと説明を受けた。
しかし会社は、
「当社では週2日以上出勤しなければ、社会保険や年金を継続できない規則です。」
と回答した。
僕は入社時、そのような説明を受けた記憶はなかった。
結局、解雇ではなく、書類上は自主退職として処理されることになった。
そしてハローワークの職歴には、
『就職後3か月で退職』
という記録だけが残った。
さらに会社からは、
「この支援プログラムを1年未満で退職したため、今後この制度は利用できなくなる。」
と説明を受けた。
仕事を失って約3週間。
僕は母を受け入れてくれる施設を毎日のように探し続けていた。
しかし、どこへ相談しても受け入れ先は見つからなかった。
そんな中、3月20日。
今度は父の再入院が決まる。
状況は、さらに悪化していくのだった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月06日 05:02
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第58話 優しかった理由はお金
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第57話 神様、僕は独りですが??』前回のお話↓『第56話 僕の妹、愛犬アイの死』前回のお話↓2月下旬のある日。僕は相変わらず母親の受け入れ先を探すため、朝からB県N市を回っていました。ケアマネ…ameblo.jp
2月下旬。
僕は、この先どうすればいいのか全く見えなくなっていた。
毎日落ち込むばかりで、「これ以上会社に迷惑を掛けるわけにはいかない」という思いだけが頭を支配していた。
休職中だった僕は勤め先へ向かい、上司にこう伝えた。
「これ以上、会社に迷惑を掛けるわけにはいかないので、退職させてください。」
そう言って退職届を差し出した。
しかし、上司は退職届を受け取ろうとはしなかった。
「まあ、もう少し様子を見よう。家のことが落ち着いたら、また働けばいいんだから。」
その言葉に、僕は救われた気持ちになった。
「こんな状態の僕でも、会社は必要としてくれている。」
この時の僕は、本気でそう信じていた。
母は若年性認知症と精神疾患を抱え、さらに糖尿病によるインスリン管理が必要だったため、受け入れてくれる施設も見つからない。
父も介護が必要な状態。
毎日が綱渡りのような生活だった。
それでも僕は、何とかこの状況を立て直し、もう一度職場へ戻りたいと強く思っていた。
しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
相変わらず家の問題に追われる日々を過ごしていた3月某日。
突然、会社へ呼び出された。
そこで告げられた言葉は、あまりにも突然だった。
「君は解雇です。」
僕は耳を疑った。
あれほど引き留めてくれた上司の姿はなく、目の前にいたのは社長だけだった。
僕は理由を尋ねた。
「どうして急に解雇なんですか?」
社長は静かに口を開いた。
「君は会社とA市を騙して入社した人間だと、ワシは思っている。家の事情は聞いていたが、ここまでとは思わなかった。よくそれで仕事をしようと思ったね。」
「騙す……? 僕は何も騙していません。どういうことですか?」
すると社長は続けた。
「君は面接で、お父さんの介護が必要とは言った。でも、お母さんがこんな状態になるとは言ってなかったよね? 実際、こんな状況で仕事が続けられるわけがない。それを知っていたら、ワシは君を雇わなかった。」
僕は必死に説明した。
「母の容体が変わったのは、入社してからです。」
しかし社長は首を振った。
「でも、予兆くらいは分かったんじゃないの? おかげでウチはA市から詐欺を疑われるし、補助金も入らない。最悪だよ。」
「補助金……?」
僕には何のことか分からなかった。
社長はさらに言った。
「君はA市の介護職支援プロジェクトで採用した人間なんだ。本来なら会社には毎月60万から100万円の補助金が入る予定だった。でも、それが全部パーになりそうなんだよ。君に払った社会保険も無駄になった。」
僕は初めて、その制度の存在を知った。
会社の事情も、補助金の話も、何ひとつ聞かされていなかった。
そして、この時ようやく気付いた。
あの時、退職届を受け取らず、
「もう少し様子を見よう。」
そう言ってくれた理由。
会社が僕を必要としていた理由。
僕がそう感じた理由は、一つしかなかった。
それは――
お金だった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年08月05日 05:06
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第57話 神様、僕は独りですが??
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第56話 僕の妹、愛犬アイの死』前回のお話↓2月下旬のある日。僕は相変わらず母親の受け入れ先を探すため、朝からB県N市を回っていました。ケアマネの善さんから教えてもらった施設を訪ねて直接お願…ameblo.jp
アイの亡骸を抱えて家へ戻ると、伯母と父が迎えてくれた。
伯母はアイの顔を見つめ、一言だけ静かに言った。
「ご苦労さんでしたな。大変やったのに、一人でよう頑張り張って……お疲れさんどした。」
父は涙を浮かべながら、小さな声でつぶやいた。
「ごめんな……アイ。」
最愛の家族を失った瞬間だった。
アイは後日、埋葬することになった。
当時の僕には、付き合ってまだ2か月ほどの彼女がいた。
彼女も一緒に埋葬に来てくれたのだが、この出来事をきっかけに、僕たちは別れることになった。
理由は、
「最近のあなたといても、暗い話ばっかりで全然おもんない。」
その一言だった。
彼女とは、僕がバンドをしていた頃に通っていたスタジオで知り合った。
もともとはスタジオのお客さんで、彼女が大学1年生の頃からの知り合いだった。
恋愛感情があったわけではない。
それでも、僕が音楽を辞めるタイミングで、なぜか付き合うことになった。
しかし、付き合い始めた頃から僕の家庭環境は急激に悪化していった。
彼女からすれば、
「なんなの、この状況?」
そう思っても無理はなかったのかもしれない。
彼女は大学4回生。
卒業を控え、就職先も決まり、希望に満ちた毎日を過ごしていた。
一方の僕は、母の入所先を探すだけで精一杯だった。
そんな中、今度は父の容体が悪化した。
退院後、以前から抱えていた腰痛がさらに悪化し、検査の結果、腰椎圧迫骨折の形跡が見つかった。
父は、ほとんど一人では歩けなくなってしまった。
母だけではない。
今度は父にも介護が必要になったのだ。
そのため、海王病院を通じてケアマネジャーの選任をお願いしたが、契約手続きには約3週間かかると言われた。
その間も、住宅改修の立ち会い、ヘルパー利用開始の準備、介護用品の買い出し、自宅へ来る業者や関係者への対応など、毎日やるべきことは山のようにあった。
それでも僕は、一日でも早く仕事へ戻りたかった。
社会に復帰し、これまで通り働きたい。
その気持ちは、一度も変わることはなかった。
しかし、現実はそう簡単ではなかった。
母の施設から連絡が入れば駆けつけ、父の介護の準備にも追われる。
気が付けば、仕事へ行けない日々が続いていた。
ある日、一日を終えて空を見上げた僕は、思わずつぶやいた。
「神様。
僕はそんなに悪いことをしてきましたか?
バンドで好き勝手に生きてきたことが、そんなにいけなかったんですか?
思い当たることはあります。
でも、僕は1人しかいないんです。
母も父も、僕しか頼れる人がいない。
もう……無理や。」
もちろん、神様は何も答えてはくれなかった。
-続く-
次回のお話↓ブログで全文を読む
- 2026年08月04日 05:04
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第57話 僕の妹、愛犬アイの死
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
2月下旬のある日。
僕は相変わらず母親の受け入れ先を探すため、朝からB県N市を回っていました。
ケアマネの善さんから教えてもらった施設を訪ねて直接お願いしたり、電話をかけたりしていましたが、この日も受け入れてくれる施設は見つかりませんでした。
そんな時、犬山さんからメールが届きました。
「今日は朝からアイちゃんの元気がありません。一度、顔を見に来てあげてください。」
という内容でした。
僕は、
「申し訳ありません。母親の受け入れ先探しに手間取っていて、今はそちらへ行く時間がありません。またご連絡します。」
と返信しました。
そして昼過ぎ。
この日は成果が出ないまま諦めてA県へ帰ることにしました。
当時、移動はバイクでした。
帰り道、電話のバイブが何度も鳴っていました。
ですが、
「運転中だし、父親の着替えも買わないといけない。伯母に頼まれていた晩ご飯の買い出しもある。家に帰ってから折り返そう。」
そう思い、電話には出ませんでした。
買い物を終え、バイクに乗ろうとしたその時。
再び電話が鳴りました。
犬山さんからでした。
「はい、もしもし。」
犬山さんは取り乱した声で叫びました。
「ああああ、やっと繋がった!! アイが……アイちゃんが……!!」
「アイがどうしたんですか!?」
「30分くらい前に急に『キューーーーン!!!』って大きな声で鳴いたと思ったら、そのまま動かなくなったのよ!!」
「えっ……!!?」
僕は慌ててバイクで家へ戻り、すぐに車へ乗り換えて犬山さんの家へ向かいました。
犬山さんは家の前で、毛布に包まれたアイを抱いて待っていてくれました。
僕はアイを受け取ると、そのまま動物病院へ向かいました。
そして――。
アイの死亡が確認されました。
獣医の先生は静かに言いました。
「死因は心臓発作です。問診で伺った状況から考えると、環境が急激に変わったことによる強いストレスが原因だった可能性があります。アイちゃんは16歳という年齢を考えると本当に元気な子でしたから……。」
僕の家には、もともと3匹の犬がいました。
1匹目は、アイの父親である『ウータン』。
16年間という長い犬生を全うし、2年前に天国へ旅立ちました。
思い返せば、ウータンも家庭環境が悪化し始めた頃から急に体調を崩した記憶があります。
僕には兄弟はいません。
だから僕にとって、ウータン、アイ、エオは兄妹のような存在でした。
アイの最期を看取ることができなかった。
そして、大切に預かってくださっていた犬山さんにも、多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。
アイの亡骸を抱えて家へ帰る車の中。
僕は声を上げて泣きました。
1月に母親が自殺未遂をした時も。
父親が心臓発作で命を落としかけた時も。
1回目の会社を解雇された時も。
僕は泣きませんでした。
……いや、泣けなかったのかもしれません。
でも、この時だけは違いました。
喉が枯れるほど。
顔中が涙で痛くなるほど。
僕は泣き続けました。
最愛の妹を失ったあの日。
僕は、自分の身体の半分をむしり取られたような感覚に陥ったのです。
ー続くー
次回のお話↓
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- 2026年08月03日 05:01
-
第55話 59歳で【若年性認知症】
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第54話 唯一の方法』前回のお話↓『第53話 医者も国も助けてくれない』前回のお話↓『52話 もがく毎日の始まり』第前回のお話↓『第51話 何も覚えていない』前回のお話↓『第50話…ameblo.jp
2月23日。
ようやく費用の準備と転院の手続きが整い、母は海王病院を退院することになった。
当日は金山先生も付き添ってくださった。
母は相変わらず状況を理解できておらず、どこか他人事のようだった。
そんな母に対し、金山先生は優しく語りかけた。
「千夏さん、もう少し検査が必要だから病院が変わるだけよ。」
その言葉を母は素直に受け入れた。
そして母は24時間対応の保険外デイサービスへ入所し、翌日、紹介していただいた【真白病院】で診察を受けた。
診察後、僕と金山先生は院長室へ呼ばれた。
真白院長は検査結果を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「え〜っとねぇ……検査結果なんだけどねぇ。CTや問診の結果を総合するとねぇ……千夏さんは【若年性認知症】と【精神疾患】の状態だねぇ。糖尿病の合併症が影響している可能性もあるかなぁ。」
僕は思わず聞き返した。
「認知症……ですか? それって、治るんですか?」
真白院長は静かに首を横へ振った。
「う〜ん……残念だけどねぇ、治らないんだよねぇ。ほら、このCTを見てもらうと分かるけどねぇ、脳に損傷している部分が確認できるんだよねぇ。」
先生は画像を指差しながら続けた。
「千夏さん、59歳なんだけどねぇ……今の受け答えを見る限り、精神年齢で言えば10歳くらいの子どもと同じような状態なんだよねぇ。」
その言葉を聞いた時、僕は妙に納得してしまった。
母との会話に、どこか幼さというか、ちぐはぐな違和感を感じていたからだ。
真白院長はさらに話を続けた。
「とりあえず介護認定は早めに申請した方がいいねぇ。それと家庭の事情も少し聞いたけどねぇ……今の状態で家へ連れて帰るのは危ないよ。本人は自分の状況を理解できていないからねぇ。リハビリもしながら生活できる環境が必要だねぇ。」
僕は一瞬、この現実に絶望した。
それでも病名が分かり、この先何をすればいいのかが見えたことで、少しだけ安心した自分もいた。
介護認定を受け、入所先さえ決まれば仕事へ復帰できる。
その考えが真っ先に頭に浮かんだ。
しかし――。
現実は、そんなに甘くなかった。
診察を終え、待合室へ戻ると金山先生が神妙な表情で言った。
「検査結果が分かって良かったけど、一つ大きな問題があるわ。」
「どういうことですか?」
「インスリンよ。千夏さん、糖尿病で一日に4回注射しているでしょう?」
母は糖尿病のため、一日に4回インスリンを打つ必要があった。
「それが、どう問題なんですか?」
「あなたも仕事で訪問介護をしていたから分かると思うけど、介護士は看護師じゃないの。注射は基本的に対応できないのよ。何かあった時に責任が取れないし、一日4回のインスリンが必要となると受け入れられる施設は本当に限られるの。」
もちろん、母が自分で管理することもできない。
その条件が大きな壁となり、受け入れてくれる施設は、ほとんど見つからないという。
後から病院へ来られたケアマネジャーの善さんへ結果を報告しても、返ってきた答えは同じだった。
「ちょっと考えてみます。」
そう言って善さんは病院を後にした。
翌日から僕は、ほぼ毎日のようにB県のケアマネジャーのもとへ通い、母を受け入れてくれる施設を探し続けた。
さらに、インスリンを自己注射から飲み薬へ変更できないか、母の通院にも付き添った。
しかし、新たな問題は次々と見つかった。
便秘症の治療も必要だった。
さらに、海王病院が退院時に作成した紹介状の内容と、実際に処方されていた薬が一致していないことまで判明した。
治療は、一からやり直し。
何かあるたびに施設から連絡が入り、僕は呼び出される日々が続いた。
母自身も、少しずつ異変に気付き始めていた。
「ここは何なの?」
「私はいつまでここにいるの?」
そんな言葉が日に日に増えていった。
しかも、この施設は保険外。
もし母が暴れたり、他の利用者さんへ迷惑を掛けたりすれば、退所しなければならない。
そして、この施設にいられる期限も4月初旬までと決まっていた。
残された時間は、一か月半ほどしかなかった。
時間だけが、容赦なく過ぎていった
-続く-
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- 2026年08月02日 05:01
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第54話 唯一の方法
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第53話 医者も国も助けてくれない』前回のお話↓『52話 もがく毎日の始まり』第前回のお話↓『第51話 何も覚えていない』前回のお話↓『第50話 アイとエオ』前回のお話↓『第49話 家族崩壊の始…ameblo.jp
2月17日。
翌日に母の退院期限が迫る中、何一つ決まらず、僕は途方に暮れていた。
そんな時、金山先生から一本の電話が入った。
僕は今の状況をすべて説明した。
すると先生は、少し間を置いてこう言った。
金山先生「私も、千夏さんはやっぱりおかしいと思うのよ。病院へお見舞いに行った時、たまたま意識が戻っていて話しかけたんだけど、私のことが分からなかったのよ。」
僕「僕もそう思います。でも海王病院では『異常なし』という診断でした。だから、どこの病院も診察すらしてくれないんです。」
金山先生「諦めたらダメよ。私の知り合いにケアマネジャーをしている人がいるの。その人に相談してみない?」
僕「そんなこと可能なんですか? みんな断るのに……。」
金山先生「県が変われば担当区域も変わるから大丈夫だと思うわ。とりあえず病院に入院延長をお願いして。明日、そのケアマネさんに会いましょう。」
僕は電話を切ると、その足で病院へ向かった。
母の受け入れ先を探していることを説明し、入院の延長をお願いした。
最初は断られたものの、父が癌の治療で通院している事情も考慮していただき、一般病棟で一週間だけ経過観察という形で入院を延長してもらえることになった。
翌日。
金山先生に紹介していただいた介護関係者へ事情を説明し、そのままケアマネジャーの善(ぜん)さんと会った。
善さんにこれまでの経緯を話すと、B県N市にある24時間対応の保険外デイサービスへ、母を緊急で受け入れてもらえるよう手配してくださった。
僕は何度もお礼を伝え、入所費用の準備と転院の支度をするため家へ戻った。
帰宅後、父と伯母へ事情を説明した。
伯母「金山先生、ほんま神様みたいなお方やなぁ。」
父「それで、いくらくらいかかりそうなんや?」
僕「転院費用と諸経費。それに保険外やから、食事付きで一日5,000円くらいらしい。今は、もうそこしか受け入れてくれる所がないねん。」
父は眉をひそめ、小さく息をついて口を開いた。
父「創人、明日ワシを駅前の銀行まで連れて行ってくれ。定期預金を解約する。」
伯母「えっ!? あんさん、そのお金は老後のために貯めてたお金やろ?」
父「老後って……今がその時や。アイツの財産を勝手に処分するには時間がかかる。しゃあない。」
この時の僕には、その言葉の意味が分からなかった。
『夫婦なのに、お金は自由に使えないのか?』
その理由を知るのは、もう少し後のことになる。
僕「分かった。明日の朝一番で行こう。」
暗闇の中で、ようやく小さな光が見えた気がした。
-続く-
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- 2026年08月01日 05:01
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第53話 医者も国も助けてくれない
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
2011年2月15日。
その日の一本の電話は、母が入院していた海王病院からだった。
担当医の江川先生が、静かな口調で告げた。
「治療する部分がありませんので、ご自宅へ連れて帰って下さい。」
一瞬、意味が理解できなかった。
母はまだ以前のような生活が送れる状態ではない。
自殺未遂を起こし、記憶は曖昧で、家族のことすら分からなくなる時がある。
そんな母を、どうやって家に連れて帰れというのか。
僕は怒りを抑えながら聞き返した。
「もう一度検査してもらえませんか?」
「本当に家へ帰して大丈夫なんですか? また何かあったらどうするんですか?」
しかし、返ってくる答えは同じだった。
「異常はありません。」
その言葉を聞くたびに、胸の奥が締め付けられた。
僕には、どう見ても母は普通ではなかった。
僕が何度も食い下がると、江川先生は言った。
「埒があきませんので、今から病院へ来られますか? 直接ご説明します。」
僕はすぐにバイクへ飛び乗り、病院へ向かった。
指定された会議室のドアを開ける。
そこには長机が置かれ、五人ほどが横一列に座っていた。
真ん中には江川先生。
そして、その真正面には、ぽつんとパイプ椅子が一脚だけ置かれていた。
まるで裁判だった。
「お座り下さい。」
江川先生が静かに話し始めた。
「終 千夏さんの病状は回復しております。受け答えもできますし、食事・トイレ・シャワーも介助なしで可能です。日常生活に問題はありません。」
僕は思わず声を荒げた。
「30年近く連れ添った旦那の顔も分からない。それで『問題ありません』なんて、おかしくないですか!?」
江川先生は落ち着いた様子で答えた。
「一時的に記憶が飛び、その後戻る場合もあります。まずはご自宅へ戻られ、様子を見てください。もし具合が悪いようでしたら、その時にもう一度検査をしま…」
僕はその言葉を遮った。
「何かあってからじゃ遅いんですよ! どうしてそれが分からないんですか!?
しかも家には、ステージ4の肺がんで退院したばかりの父親が療養中なんです!
そんな不安定な母親を家へ連れて帰れないことくらい、状況を見たら分かるでしょう!?」
すると、一人の女性が口を開いた。
「医療社会福祉部の役辰です。」
思わず聞き返してしまった。
「え? 役立たず?」
「やくたつです!」
一瞬だけ空気が止まった。
そして役辰さんは続けた。
「病院や担当医をご紹介するのが私どもの役目です。
終 千夏さんは健康とは言いませんが、現在は治療する部分がありませんので、退院していただきます。」
僕はさらに食い下がった。
「だから、頭がおかしくなってるって言ってるじゃないですか! 話、聞いてます!?」
役辰さんは表情を変えずに答えた。
「担当医の診断では、自宅療養による経過観察となっております。
そのため、他科への紹介もありません。」
「いやいや、おかしいでしょう! もう一度ちゃんと検査してください!」
すると、今度は病院顧問の弁護士・脇さんが口を開いた。
「これ以上、当院でできることはありません。
診断書も作成しております。
ご自宅で療養されるのであれば、介護保険などのお手続きを進めていただくことになります。」
僕は思わず叫んだ。
「だったら、何でその介護保険が使える診断をしてくれないんですか!」
脇さんは静かに答えた。
「先ほどから申し上げていますが、担当医が診断した結果、『現時点では異常なし』という判断だからです。」
当時、介護保険制度の施行後、病状が安定した患者が長期入院する「社会的入院」が制限され、在宅へ移行させる流れが進められていた時代だった。
その流れの中で、母親も退院を求められた。
結局、母は三日後に病院を出ることになった。
藁にもすがる思いで、その足で市役所にも相談へ向かった。
しかし返ってきた答えは、
「海王医科大学病院さんが判断されているのであれば、こちらから別の病院をご紹介することは難しいです。」
というものだった。
どこへ行っても同じだった。
僕「どうしてあの病院の診断が全て正しいと言えるのだろう??一回くらい診察してから言えや‼︎。」
当時の僕には、どこへ相談しても病院の判断を覆すことはできないように感じた。
『母親の異常の原因が知りたい。』
ただ、それだけだった。
でも、頼れる場所はどこにも見つからない。
自分では当たり前のことをしているだけのつもりだった。
それなのに、気が付けば僕自身が、孤独の中へ追い込まれていた。
-続く-
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- 2026年07月31日 05:02
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52話 もがく毎日の始まり
( シルベットさんのプロフィール)
第前回のお話↓『第51話 何も覚えていない』前回のお話↓『第50話 アイとエオ』前回のお話↓『第49話 家族崩壊の始まり前夜』前回のお話↓『第48話 自殺未遂の検証』前回のお話↓『第47話 父と伯母と伯…ameblo.jp
2月6日。
父が退院し、自宅療養が始まった。
父の姉と弟が、他県から交代で見守りに来てくれることになった。
しかし、伯母は左足の付け根に麻痺があり、伯父も腰痛を抱えていた。
二人だけで父の生活を支えることは難しかった。
買い物や掃除など、日常生活に必要なことは、仕事を終えた僕が毎日できる限り対応していた。
だが、それだけでは終わらない。
築50年以上になる実家では、次から次へと問題が起きていた。
キッチンの水漏れ。
大量発生したゴキブリの駆除。
母の病状確認とオムツ代等の支払い。
父の介護申請の手続き。
仕事へ行き、家に帰り、問題を片付ける。
休んでは動き、また仕事へ行く。
気が付けば、自分の時間など、どこにもなかった。
それでも、この時の僕は思っていた。
「自分がやるしかない。」
その一心で、毎日を走り続けていた。
こうして、出口の見えない、もがく毎日が始まった。
-続く-次回のお話↓ブログで全文を読む
- 2026年07月30日 05:03
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第51話 何も覚えていない
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第50話 アイとエオ』前回のお話↓『第49話 家族崩壊の始まり前夜』前回のお話↓『第48話 自殺未遂の検証』前回のお話↓『第47話 父と伯母と伯父』前回のお話↓『第46話 「….助…ameblo.jp
伯母と伯父を車で迎えに行き、そのまま父が入院している病院へ向かった。
車内では、これまでに起きた出来事と現在の状況を二人に説明した。
病室では、父を交えて終家の今後について話し合った。
これからどうやって父を支えていくのか。
母のことをどうしていくのか。
誰も答えは持っていなかった。
話し合いを終えた後、僕は伯母と伯父をS県まで送り届け、その日の予定を終えた。
母が自殺未遂を起こしてから約1週間。
母の意識は、まだ戻らなかった。
それでも、僕の日常は止まることなく進んでいった。
2月3日。
僕は会社へ復帰した。
正直、仕事どころではなかった。
それでも働かなければ、生活は成り立たない。
2月5日。
父の容体が安定したため、2月6日から自宅療養へ切り替わることになった。
そして病院から一本の電話が入った。
「お母様の意識が戻り始めています。」
その知らせを聞いても、僕は素直に喜ぶことができなかった。
むしろ心の中では、
「頼むから……このまま眠っていてくれ。」
そんなことを思ってしまっていた。
病院へ向かい、母の病室へ入る。
そこには車椅子に座った父と、その向かいで話をしている母の姿があった。
僕の姿を見るなり、母はこう言った。
「……あれ、創人。こんな所で何してるの?」
少しホッとしたのも束の間、続く言葉に僕は凍り付いた。
「さっきからこの人と話してるんだけど……誰?」
「はっ!? 何言ってるんだよ。あんたの旦那やん。親父の道人やで。冗談やろ?」
すると母は何事もないように、
「そうなんだ。旦那さんなんだ。」
とだけ答えた。
そして、
「おしっこしたいんだけど、トイレどこ?」
まるで何もなかったかのように立ち上がろうとした。
その姿からは、今までの母とは違う、何とも言えない異様な空気を感じた。
父は静かに母へ声を掛けた。
「千夏。わしは明日退院するから、先に家へ戻っとるぞ。」
「家? ……ふーん。じゃあ、トイレ行ってくる。」
母は興味がないように病室を出て行った。
父はその後ろ姿を見つめながら、小さな声で言った。
「千夏は……何も覚えてへん。」
僕は急いで担当医の江川先生に話を聞きに行った。
先生の説明では、母は意識こそ戻ったものの、僕や父、それに入れ違いになったが、見舞いへ来てくれた20年来の同僚の金山先生のことも認識できていなかった。
さらに、自分が自殺未遂をしたこと。
犬を飼っていること。
父が肺がんであること。
そのすべての記憶が抜け落ちていた。
説明を終えた江川先生は、淡々とこう言った。
「経過観察をして、特に異常がなければ退院ですね。」
僕は耳を疑った。
「えっ!? 何を言ってるんですか! 明らかに様子がおかしいじゃないですか!」
すると先生は落ち着いた口調で答えた。
「そう言われましても、意識が戻ってからの簡易検査では異常は認められていません。そこまでご心配でしたら、検査入院という形でもう一度詳しく調べることはできます。」
「お願いします!」
僕は即答した。
その時は、
「なんて無責任な医者なんだ。」
そう思った。
しかし今振り返れば、救命救急の役目は命を救うこと。
その後の生活や介護については、担当する部署が違うということだったのだろう。
この時の僕は、まだ知らなかった。
これから始まる、介護制度という現実と、その大きな壁に飲み込まれていくことを。
-続く-
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- 2026年07月29日 05:01
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第50話 アイとエオ
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第49話 家族崩壊の始まり前夜』前回のお話↓『第48話 自殺未遂の検証』前回のお話↓『第47話 父と伯母と伯父』前回のお話↓『第46話 「….助けてくれ。」』前回のお話↓『第45話 神様、酷…ameblo.jp
翌日。
すべてが慌ただしく動き始めた。
まずはアイを田中さんの家へ送り届けた。
父から預かった封筒を渡し、アイをお願いして帰ろうとした、その時だった。
アイが突然、僕に飛びついてきた。
僕の腕にしがみつき、離れようとしない。
こんなことは初めてだった。
僕はアイを優しく抱きしめ、
「ごめんな。絶対に迎えに来るから。」
そう言って、アイと別れた。
次はエオだった。
連絡を受け、隣のB県N市の指定された場所へ車を走らせた。
到着すると、一人の女性が手を振って待っていた。
どこか見覚えのある顔だった。
「創人ちゃん、私のこと分かる?」
そう声を掛けてきたのは金山先生だった。
「昔、お母さんと仕事の演奏会でよく一緒になってね。打ち上げで一緒にご飯も食べたのよ。」
「……ああ、はい。」
突然の再会に、うまく言葉が出なかった。
「ごめんね。病院に行かなきゃいけないから。エオちゃんはどこかな?」
車の中のエオは、怯えて小さく震えていた。
それでも、僕にはどうすることもできなかった。
「エオ。ええ子にするんやで。またな。」
そう声を掛けるのが精一杯だった。
僕は金山先生に深く頭を下げ、その場を後にした。
そして、伯父と伯母が待つ地元の駅へ向けて車を走らせた。
悲しいとか、つらいとか。
どうしてこんなことになったのかという疑問も。
この時の僕には、そんなことを考える余裕はなかった。
ただ、目の前のことをこなすのに必死だった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月28日 05:05
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第49話 家族崩壊の始まり前夜
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
警察による実況見分が終わり、僕は磯野さんたちにお礼を伝えた。
その足で、中島さんの家へ犬たちを迎えに行く。
玄関を開けた瞬間、アイとエオは勢いよく僕に飛びつき、大きな声で吠えながら歓迎してくれた。
僕は中島さんにも事情を説明し、お礼を伝えて家へ戻った。
帰宅すると、2匹にご飯をあげ、いつもはあげない特別なおやつも用意した。
そして、2匹の前に座り込み、静かに話しかけた。
「アイ、エオ。お前らに話がある。
オカンが自殺未遂して、今は意識不明の重体や。死ぬかもしれん。
それに親父も体調が悪くて、退院してもしばらく家で療養せなあかん。
だから、お前らの散歩も、ご飯も、一緒に遊ぶことも、しばらくはできへんようになる。
悪いけど、まずアイ。
お前は一時的に実家へ預かってもらう。
それからエオ。
詳しいことはまだ俺も分からんけど、お前は『金山先生』っていうオカンの同僚の人のところで預かってもらうことになりそうや。
だから……だから、しばらく一緒には暮らせへん。
でも、必ず迎えに行く。
それまで辛抱してな。」
言葉にすると、今まで必死に押さえていた感情が一気に込み上げてきた。
それでも、2匹の預け先が見つかりそうだという安心感もあり、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
「今日はみんなで寝るで!」
その夜、僕たちは狭いシングルベッドにぎゅうぎゅうになって眠った。
いつもならアイは窮屈だと文句を言うように勝手にベッドから飛び降りる。
それなのに、この日はなぜか僕の体にぴったり寄り添ったまま眠っていた。
エオも同じように、僕のお腹の上で気持ち良さそうに寝息を立てていた。
僕の実家には、もともと3匹の犬がいた。
最初に迎えたのが「ウータン」という犬だった。
16年という長い犬生を全うし、2年前に天国へ旅立った。
アイは、そのウータンの子どもである。
今回アイを預かってくれることになったのは、アイの母犬を飼っていた犬山さんだった。
一方、エオを預かると申し出てくれた金山先生は、家に帰るとメールをくださっていた。
連絡をすると、どこで話を聞いたのか母の容体を心配して電話をくださった。
事情を説明すると、
「エオのことも心配だから預かるよ。」
と言ってくださった。
実は昔、ウータンが通っていたしつけ教室の訓練士が金山先生の息子さんで、エオのことも知っていてくれたらしい。
こうして2匹の預け先は決まった。
翌日は、それぞれの預け先へ犬たちを送り届け、その後、地元の駅まで伯母と伯父を迎えに行き、父の入院する病院へ向かう。
息つく暇もない一日が待っていた。
まさか――。
この夜が、僕とアイ、そしてエオが一緒に過ごす最後の夜になるとは、この時の僕は、まだ知る由もなかった。
-続く-
後書き
この犬にまつわる話はあまりにも辛い過去なのでブログにするか迷いましたが、ぜひ知っていただきたいエピソードなので書く事にしました。
次回のお話↓
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- 2026年07月27日 05:02
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第48話 自殺未遂の検証
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第47話 父と伯母と伯父』前回のお話↓『第46話 「….助けてくれ。」』前回のお話↓『第45話 神様、酷いです。』前回のお話↓『第44話 治療拒否は出来ない』前回のお話↓『第43話 通…ameblo.jp
伯母との電話を終えると、父が不安そうな表情で僕を見た。
「……何て言うてた?」
僕は少しだけ笑って答えた。
「道一伯父ちゃんと二人で、明日来てくれるって。」
「正直、絶対来てくれへんと思ってた。」
父は静かに頷いた。
「そこが姉らしいところや。」
「お前は一人っ子やから分からんかもしれんけど、いざという時に助け合うんが家族や。」
僕は思わず聞き返した。
「じゃあ、千春叔母ちゃんは?」
「何の連絡もないやん。」
父は少しだけ苦笑した。
「あの二人は色々あったからな……。」
「よっぽど関係が悪いんやろ。」
少し間を置いて、父は真剣な表情になった。
「それより、この後のことや。」
そこから父と僕は、これから何をしなければならないのかを一つずつ確認していった。
病院のこと。
家のこと。
警察への対応。
親戚への連絡。
僕も自分なりの意見を伝えた。
今思えば、父と”大人同士”として家族の話をしたのは、あれが初めてだったのかもしれない。
その後、僕は担当医へ挨拶を済ませ、一度家へ戻ることにした。
家へ着くと、磯野さんたちと警察官が待っていた。
正直、まったく嬉しくなかった。
すぐに現場検証が始まった。
警察から説明を受ける。
「今回の原因は、インスリンの大量投与に加え、睡眠薬と自律神経失調症の薬を大量に服用したことによるオーバードーズと考えられます。」
「さらに、小型犬用の首輪を使って首を圧迫した形跡がありました。」
「ただ、お母様の体重を小型犬用の首輪だけで支えることはできず、それが直接の死因には至りませんでした。」
淡々と事実だけが読み上げられていく。
最後に、一人の警察官が少し言いづらそうに口を開いた。
「これは、あくまで私個人の印象なんですが……。」
「本人さんは、本気で死ぬというより、誰かに気付いてほしかった。誰かに構ってほしかった……そんなふうにも感じました。」
僕は何も答えなかった。
でも、その言葉は妙に胸に刺さった。
僕も、どこかで同じことを思っていたからだ。
情けなさと虚しさが一気に込み上げる。
そして、強い吐き気に襲われた。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月26日 05:03
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第47話 父と伯母と伯父
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第46話 「….助けてくれ。」』前回のお話↓『第45話 神様、酷いです。』前回のお話↓『第44話 治療拒否は出来ない』前回のお話↓『第43話 通報の義務』前回のお話↓『第42話 野次馬だらけ…ameblo.jp
僕は父に言われるまま、伯母へ電話を掛けた。数回コールが鳴り、受話器の向こうから聞き慣れた声がした。「もしもし。終でございます。」「あっ、みっちゃん?」伯母の愛称で呼ぶと、すぐに返事が返ってきた。「はいはい、こんばんは。」「ハジメちゃん、あんた大丈夫か?」「おかはん、死んだんか?」僕は首を振った。「いや。今、生きるか死ぬかの状態や。」「それで親父が……。」僕は救急車を呼んだこと、母が海王病院へ運ばれたこと、父も入院中で身動きが取れないことを一気に説明した。伯母は黙って聞いていた。そして、小さく息を吐いた。「ほぉ……なるほど。」「それはえらいこっちゃなぁ。」少し間を置いて、伯母が尋ねた。「それで、道人は何て言うとるどす?」僕は正直に答えた。「『助けてくれ』って言うてる。」すると伯母は、今度は僕に聞いてきた。「あんさんは?」「ハジメちゃん。」僕は苦笑した。「そら、俺だって助けてほしいよ。」「でも、みっちゃん、オカンとは関わりたくないって聞いてるし、おっちゃんだって嫌やろ?」伯母は即答した。「そうどすな。」「確かに、あんたのオカはんとは関わりたくない。」「色々ありましたから。」一瞬、胸が沈んだ。しかし伯母は続けた。「でも、それと道人と創人が困ってるのは別問題どす。」「分かりました。」「明日からそっちへ行きますよって。」「えっ……?」思わず声が漏れた。「来てくれるん?」「みっちゃん、足悪いのに?」伯母は笑った。「そら、杖ついて歩くのもしんどいさかい、全部は無理どす。」「でも、何かしらはできます。」「明日、道一と二人で行きますよって。」「駅まで車で迎えに来てくれるか?」予想外の返事だった。僕はしばらく言葉が出なかった。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月25日 05:03
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特別編② 終家の伯母、伯父、母
( シルベットさんのプロフィール)
特別編①はこちら↓『特別編① 終家という一族 父親について』「終(おわり)家。」この終家は、代々商売を営んできた一族だったと伯母から聞いた。曾祖父の代、実家の近くには大きく美しい湖があり、そこで捕れた魚やエビを干物や蒲…ameblo.jp
伯母――終 道子(おわり みちこ)
終家の長女として生まれた。
昭和初期の女性としては珍しく、大手建設会社へ就職。
定年まで勤め上げた、いわゆるキャリアウーマンだった。
結婚はしなかった。
その理由を僕は聞いたことがない。
ただ、祖母・キヨの介護が始まると、その生活は一変する。
十年以上もの間、一人で祖母を介護し、最期まで看取った。
今思えば、僕が母を十三年間介護した日々と重なる部分がある。
だからなのか。
伯母は、僕の気持ちを理解してくれていたように思う。
⸻
伯父――終 道一(おわり みちかず)
父の弟。
大手電機メーカーへ就職したものの、その後はさまざまな仕事を転々とし、五十五歳で早期退職した。
現在も独身で、伯母と同じ家に住んでいる。
正式な診断を受けたわけではない。
だが、家族として接してきた中で、「普通とは何か違う」と感じる出来事は昔から少なくなかった。
今振り返ると、発達障害だったのではないかと思うこともある。
もちろん、それだけで人を判断するつもりはない。
ただ、この先、終家で起こる出来事において、伯父の存在は避けて通れない。
だから、この時点で少しだけ触れておこうと思う。
⸻
母――終 千夏(おわり ちなつ)
旧姓・源(みなもと)。
父とは「お見舞い結婚」だったと聞いている。
幼い頃から、実父(創人の祖父)の強い教育方針のもと、姉とともに厳しい音楽教育を受けて育った。
大学は音楽大学へ進学。
卒業後は非常勤講師として働きながら、自宅では童歌やピアノ、打楽器などを教えていた。
結婚当初は、父より母の収入の方が多かったという。
しかし、昔からの末っ子気質に加え、父が不動産会社で成功してからは、少しずつ金銭感覚が変わっていった。
その積み重ねが、後に終家が崩れていく原因の一つになっていく。
もちろん、それだけが理由ではない。
この話をここで語り始めると、本編より長くなってしまう。
だから、その続きは本編の中で書いていこうと思う。
次回の本編のお話↓
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- 2026年07月24日 05:01
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特別編① 終家という一族 父親について
( シルベットさんのプロフィール)
「終(おわり)家。」
この終家は、代々商売を営んできた一族だったと伯母から聞いた。
曾祖父の代、実家の近くには大きく美しい湖があり、そこで捕れた魚やエビを干物や蒲焼、佃煮などに加工し、自分たちの店で販売していたという。
店は繁盛し、終家は当時ではかなり裕福な暮らしを送っていたそうだ。
しかし、その繁栄は長くは続かなかった。
父の父――終 直道(おわり なおみち)。
祖父は遊郭へ通うようになり、わずか三日間で財産の大半を失ったという。
さらに追い打ちをかけるように戦争が始まる。
空襲によって店は焼失。
終家は財産だけでなく、商売そのものも失ってしまった。
何もかもを失った終家。
そんな父親の姿を見て育った三人の子どもたちは、幼い頃から同じ思いを抱くようになった。
「自分たちは安定した仕事に就かなければならない。」
長女・道子。
長男・道人。
次男・道一。
三人は、それぞれ違う人生を歩み始めた。
⸻
父・終 道人(おわり みちひと)
父の若い頃の話は、父本人からではなく伯母の道子から聞いた。
「道人は昔から頭が良かった。」
それが伯母の口癖だった。
高校では野球部に所属し、三年生ではキャプテンを務めていたという。
しかし、高校三年生の時に肺の病気を患い、一年間の留年生活を送ることになった。
それでも父は諦めなかった。
一年遅れで高校を卒業し、名門R大学へ進学する。
目指したのは弁護士だった。
大学では法律を学びながら、行政書士や宅地建物取引主任者、マンション管理など、さまざまな資格を取得していった。
しかし、一番欲しかった司法試験だけは最後まで合格できなかった。
卒業後は法律事務所へ就職したものの、弁護士になる夢を諦めきれず退職。
夜はハム工場でアルバイトをし、昼は司法試験の勉強を続けたという。
だが、その生活は長く続かなかった。
無理がたたり、身体を壊してしまう。
父はついに弁護士への夢を諦めた。
その後、取得していた資格を活かして不動産会社へ就職。
営業として実績を積み重ね、後にヘッドハンティングされるまでになった。
伯母は父のことを話すたび、決まってこう言っていた。
「道人は昔から真面目さだけは誰にも負けへん子やった。」
僕は父の若い頃を知らない。
だから、この話を聞いた時は少し驚いた。
父にも、夢を追い掛け、挫折し、それでも前を向いて歩いてきた時代があった。
そして後になって思う。
父が歩んだ人生は、不思議なほど僕の人生と重なっていた
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月23日 05:02
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第46話 「….助けてくれ。」
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
父は僕の顔を見るなり、申し訳なさそうに口を開いた。
「創人……。」
「あいつは……千夏は死んだんか?」
僕は静かに首を振った。
「いや。」
「今、生死の境をさまよってる。」
「担当医に五分五分とは言われてへん。でも、あの様子を見てたら五分五分やと思う。」
父は小さく息を吐いた。
「そうか……。」
「どうせインスリンと薬を大量に飲んだんやろ。」
「いつものことや。」
「あれだけ『そんなことしても死なれへん』って言い続けてきたのにな……。」
僕は思わず吐き捨てるように言った。
「俺が知ってるだけでも五回はやってるやろ。」
「もう、このまま死んでくれた方がええわ。」
父は僕を責めることなく、小さく頷いた。
「……まぁ、そう言うな。」
しばらく沈黙が流れた。
やがて父は、ゆっくりと話題を変えた。
「アイとエオは?」
僕は家の様子を説明した。
近所中に救急車とパトカーが来たこと。
磯野さんとフグ田さんが犬たちと家を見てくれていること。
家へ帰れば警察の事情聴取が待っていること。
父は何も言わず、黙って聞いていた。
そして、大きくため息をついた。
「創人。」
「S県へ電話してくれへんか。」
僕は驚いた。
「道子伯母ちゃん?」
「でも親父、『もう千夏さんには関わりません』って言われたやん。」
父は静かに首を振った。
「状況が違う。」
「ワシが動けるなら頼まへん。」
「お前が来る前に少しだけ電話しといた。」
「今の状況を伝えてくれ。」
僕は苦笑した。
「……まぁ、無駄やと思うけど。」
「何て言うたらええねん⁇」
父は目を閉じ、小さな声で言った。
「助けてくれ……。」
その一言に、父のすべてが詰まっている気がした。
僕は携帯電話を取り出した。
-続く-
次回のお話↓ブログで全文を読む
- 2026年07月22日 06:09
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伯母が亡くなりました。
( シルベットさんのプロフィール)
この物語にも登場する伯母、終 道子(仮名)が、2026年7月20日に永眠しました。
享年89歳(満87歳)でした。
伯母と最後に会ったのは、ちょうど一年前。
寝たきりになった伯母のもとへ、銀行関係の手続きを手伝うために訪れた日が最後になりました。
この先の物語では、伯母との間にさまざまな出来事が描かれます。
楽しかったことだけではありません。
ぶつかったことも、理解し合えなかったこともありました。
それでも今振り返ると、伯母は間違いなく、今の僕を支えてくれた大切な存在でした。
その存在は、今もなお僕が生きる糧になっています。
感謝を込めて、最後のお別れをしてきます。
終 創人ブログで全文を読む
- 2026年07月21日 05:01
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第45話 神様、酷いです。
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
救命病棟を出た僕は、しばらくその場から動くことができなかった。
何も考えられない。
頭の中は真っ白だった。
そんな中、最初に頭へ浮かんだのは仕事のことだった。
「会社に連絡しないと……。」
僕は携帯を取り出し、現場リーダーへ電話を掛けた。
母が自殺を図ったこと。
今、県立海王病院の救命病棟にいること。
しばらく仕事へ行けそうにないこと。
できるだけ冷静に説明した。
するとリーダーは言った。
「今ちょうど現場から直帰するところや。」
「病院へ行くわ。」
僕は慌てて断った。
「大丈夫です。」
「こんな時間に申し訳ないですし……。」
それでもリーダーは来てくれた。
救命病棟のガラス越しに治療を受ける母を静かに見つめる。
そして僕の方へ向き、穏やかな口調で言った。
「今は家のことをしっかりしたらええ。」
「社長には俺から話しとく。」
「しばらく休職扱いにしてもらうよう頼んどくから。」
少し間を置いて、最後にこう言った。
「その代わり……。」
「君は絶対に死んだらあかん。」
そう言い残し、リーダーは帰っていった。
僕は、その言葉に少しだけ救われた気がした。
でも、その安心は長く続かなかった。
すぐに胸の奥から、何とも言えない不快感と重苦しさが込み上げてきた。
僕は磯野さんへ電話を掛けた。
母の状況を説明すると、
「警察はまだ現場検証をしてるわ。」
「あと二時間くらいは掛かるみたい。」
そう教えてくれた。
さらに、
「私とフグ田さんで交代しながら家を見ておくから。」
「創人君は病院にいてあげなさい。」
そう言ってくれた。
申し訳ない。
その気持ちでいっぱいだった。
電話を切ると、僕はゆっくり立ち上がった。
気付けば父の病室へ向かって歩いていた。
病室のドアを開ける。
ベッドには父が静かに横たわっていた。
父は僕の顔を見ると、小さな声で言った。
「創人……。お前、大丈夫か?」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れた。
怒り。
悲しみ。
悔しさ。
いろんな感情が一気に込み上げてきた。
「何で俺ばっかり、こんな目に遭わなあかんねん……。」
そんな思いが頭の中を駆け巡る。
この理不尽な人生そのものにも、母親にもそして神様にも怒っていた。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月20日 05:01
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第44話 治療拒否は出来ない
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
救急隊から言われた。
「搬送先は県立海王病院です。後から車でついて来てください。」
一方、警察は現場検証を行うため、家族が残れないか確認していた。
「身内の方は、他にいらっしゃいますか?」
僕は首を横に振った。
「……僕一人です。」
どうすることもできず立ち尽くしていると、そこへ磯野さんが現れた。
「創人君。」
「主人から事情は聞いたわ。」
「病院へ行ってきなさい。」
「ここは私とフグ田さんで見ておくから。」
僕は形だけ頭を下げ、そのまま車へ乗り込んだ。
パトカーが先導し、その後ろを追い掛けるように走る。
途中、父方の伯母と伯父へ電話を入れた。
そして車を停めたタイミングで父にもメールを送った。
『母が自殺を図った。今、海王病院へ搬送中。』
送信ボタンを押した瞬間、真っ先に頭へ浮かんだのは、
「なんやねん……面倒くさい。」
だった。
病院へ到着すると、待機していた看護師が僕に声を掛けた。
「救命病棟へご案内します。」
「私について来てください。」
僕は小走りで後を追った。
救命病棟の前で数分待たされた後、中へ通された。
部屋の中では、医師や看護師が慌ただしく動き回っていた。
その中心には母がいた。
担当医が僕へ近付いてきた。
「終 千夏さんのご家族ですか?」
「はい。」
「担当医の江川です。」
先生は検査結果を見ながら説明を始めた。
「おそらくインスリンを大量に投与した上で、睡眠薬と自律神経失調症の薬を大量に服用されています。」
「その影響で血圧が急激に低下し、さらに首を締めたことで脳への血流が一時的に止まったと考えられます。」
「CTでは脳の右側に損傷が見られます。脳梗塞を起こした可能性があります。」
そして、一枚の書類を差し出した。
「一刻を争います。」
「治療を始めますので、ご家族の同意をお願いします。」
僕は書類を受け取った。
しかし、手が動かなかった。
ガラス越しには母の姿が見える。
何本もの管につながれ、首から上だけが激しく痙攣し、左右へ奇妙に動いていた。
その光景を見た瞬間、昔見た**マリリン・マンソンの『ビューティフル・ピープル』**のMVが頭に浮かんだ。
気付けば、頭の中ではあの曲まで流れていた。
恐怖。
嫌悪感。
そして、ほんの一瞬だけ高揚感。
「マリリン・マンソンみたいや……。」
そんな不謹慎なことを、本気で思っていた。
今思えば、あの頃の僕は病んでいたのかもしれない。
母は必死にもがいていた。
生きようとしているように見えた。
でも、その時の僕は違うことを願っていた。
「もう……頼むから、そのまま死んでくれ。」
担当医が強い口調で言った。
「ご家族のサインが必要です。」
僕は首を横に振った。
「……サインしたくありません。」
「サインしなければ、このまま死なせてあげられるんですよね。」
担当医は驚いた表情を浮かべた。
「何を言っているんですか。」
「お母様でしょう。」
「ここは救命センターです。」
僕は静かに答えた。
「母は死にたがっていました。」
「遺書もあります。」
「救急車を呼んだのも、助けたいからじゃありません。」
「義務だと思ったからです。」
担当医は少しだけ黙り、落ち着いた口調で言った。
「患者さん本人の意思が確認できない以上、ご家族が治療方針を決めることになります。」
「そして救急医療は、命を救うことが最優先です。」
「私たちは助けるためにいます。」
沈黙が流れた。
二分か三分か。
時間の感覚はなかった。
頭に浮かんだのは、父の顔だった。
「……サインします。」
担当医は静かに頷いた。
「ありがとうございます。」
その瞬間、医療スタッフが一斉に動き始めた。
僕は看護師に肩を叩かれ、部屋の外へ案内された。
ドアの前の椅子へ座り込む。
身体に力が入らなかった。
その時、僕は思った。
通報せず、そのまま死ぬのを待てば良かった。
そうすれば、俺と親父は解放された。
少なくとも、あの時の僕は本気でそう思っていた。
しばらく、僕は椅子から立ち上がることができなかった。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月19日 05:05
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第43話 通報の義務
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
救急隊と警察が、ほぼ同時に家へ入ってきた。
救急隊は土足のまま、迷うことなく母のもとへ向かう。
「患者さんは?」
僕は黙って母のいる部屋へ案内した。
母の姿を見るなり、救命士が叫ぶ。
「気道確保!」
「挿管せなあかんかもしれん!」
聞き取れたのは、それだけだった。
その横で、一人の警察官が僕に声を掛けた。
「息子さんですか?」
「まず、お名前と生年月日を教えてください。」
「倒れているのは、お母様ですね?」
「状況を分かる範囲で説明してもらえますか。」
僕は、自分でも不思議なくらい冷静だった。
言われたことを、一つずつ淡々と答えていった。
すると今度は救命士が聞いてきた。
「お母さん、何か持病はありますか?」
「薬は飲まれていますか?」
「糖尿病と自律神経失調症です。」
「インスリンと血圧の薬を使っています。」
救命士は頷いた。
「分かりました。」
「準備ができ次第、県立海王病院へ搬送します。」
そして警察官へ向き直る。
「搬送します。」
「お願いします。」
そのやり取りを聞いて、僕は思った。
海王病院……。
父が入院している病院だった。
偶然にしては、出来すぎている。
そんなことが頭をよぎった。
救急隊が母を運び出す準備をしている間、警察官が再び僕に尋ねた。
「お父さんは今どちらですか?」
「他にご家族はいらっしゃいますか?」
「この後、現場確認もしなければいけないので。」
その時だった。
「行きます!」
救急隊の声が部屋に響いた。
僕は警察官に、一つだけ聞いた。
「変なことを聞きますけど……。」
「僕は通報しないといけなかったんですか?」
「母は死にたがっていました。」
「遺書もありました。」
警察官は少しだけ表情を和らげて答えた。
「法律上、一般の人に通報義務があるわけではありません。」
「でも、ご家族のように保護する立場の人は、助けられるのに助けなかった場合、責任を問われる可能性があります。」
「だから、あなたの判断は間違っていません。」
少し間を置いて続けた。
「二十八歳……。」
「これは、大変やな。」
その言葉を聞いた瞬間、僕は思った。
「あぁ、逃げられない。」
その時、何故か頭の中に昔読んだドラクエの漫画の言葉が浮かんだ。
「知らなかったのか?大魔王からは逃げられない。」
今の僕はそうだった
-続く-次回のお話↓
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- 2026年07月18日 05:05
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第42話 野次馬だらけ
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第41話 父は倒れ、母は自殺未遂』前回のお話↓『第40話 2011年1月1日』前回のお話↓『第39話 報われると思った』前回のお話↓『第38話 生きていく為に』前回のお話↓『第37話 世間から…ameblo.jp
遠くから救急車のサイレンが近づいてくる。
同時に、パトカーのサイレンも聞こえてきた。
母の自殺未遂を救急へ伝えると、警察にも同時に連絡が入る仕組みになっていることを、この時初めて知った。
しばらくすると、家のチャイムが鳴った。
玄関を開けると、そこには近所のフグ田さんが立っていた。
母のウォーキング仲間だった。
「創ちゃん、大丈夫?」
「お母さん、どうしたの?」
僕は簡単に事情を説明した。
「もうすぐ警察と救急車が来ます。」
「家が誰もいなくなるので、犬をどうしようかと思っていて…。」
するとフグ田さんは、
「裏の中島さんに頼んでくるわ。」
「帰って来るまで犬たちは預かってもらうから安心しなさい。」
そう言って、すぐに走って行った。
その直後、警察と救急隊が到着した。
気付けば、家の前には大勢の人が集まっていた。
近所の人たちだった。
僕には、その全員が野次馬にしか見えなかった。
その中には、磯野さんのご主人の姿もあった。
末期がんで自宅療養中だと聞いていた人だった。
それでも外へ出てきて、僕に声を掛けてくれた。
「大丈夫か?」
僕は小さく、
「まぁ…。」
とだけ答えた。
その時の僕には、人の心配を受け止める余裕なんてなかった。
「どうせ面白がって見に来てるだけやろ。」
「暇人どもめ。」
そんなことしか思えなかった。
でも──。
フグ田さんや磯野さんたちの行動が、ただの野次馬ではなかったことを知るのは、もう少し後のことだった。
― 続く ―次回のお話↓
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- 2026年07月17日 05:01
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第41話 父は倒れ、母は自殺未遂
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第40話 2011年1月1日』前回のお話↓『第39話 報われると思った』前回のお話↓『第38話 生きていく為に』前回のお話↓『第37話 世間からの戦力外通告』前回のお話↓『第36話 夢と挫…ameblo.jp
父は心筋梗塞を乗り越えた。
命は助かった。
それだけが救いだった。
僕は会社へ事情を説明し、一日だけ休みをもらった。
翌日には出社した。
入社したばかりの僕に、休み続けるという選択肢はなかった。
仕事を覚えなければならない。
生活もしなければならない。
仕事が終われば、その足で県立海王病院へ向かった。
父の顔を見て帰宅する。
そんな毎日が続いた。
でも、一番変わってしまったのは母だった。
「主人が死んだら、私は生きていけない。」
「何で私ばっかり、こんな目に遭わなあかんの。」
毎日のように泣き、怒り、取り乱した。
僕はもう呆れていた。
何を言っても届かなかった。
そんな生活を続けているうちに、今度は僕の身体が悲鳴を上げた。
高熱。
扁桃腺炎だった。
一月二十日から二十二日。
そして二十五日。
四日間、会社を休むことになった。
仕事を始めたばかりなのに、また迷惑を掛けてしまった。
情けない気持ちでいっぱいだった。
一月二十五日の夕方。
貝塚診療所で薬をもらい、自宅へ戻った。
まだ微熱があり、身体はガタガタだった。
玄関を開けると、母が泣きながら喚き散らしていた。
そして、何かを定期的に口へ運んでいた。
何を飲んでいるのかまでは気にしなかった。
僕は見て見ぬふりをして二階へ上がり、布団をかぶった。
どれくらい眠ったのだろう。
突然、
「バタン!!」
という大きな音が響いた。
「また暴れてるんやろ。」
そう思い、そのまま放っておいた。
さらに二時間ほど経った頃。
今度は二匹の犬が激しく吠え始めた。
外を見ると、もう夕方だった。
「犬の散歩くらい行けや…。こっちは病人やぞ。」
そう思いながら一階へ降りた。
そこで見た光景を、僕は今でも忘れられない。
母が、うつ伏せに倒れていた。
首には、犬用の首輪をつなぎ合わせて作ったロープが巻かれていた。
大きないびきをかいている。
鼻からは血と鼻水、何か分からない液体が流れていた。
「おい!! オカン!!」
返事はない。
意識もなかった。
僕は救急車を呼ぼうと携帯へ手を伸ばした。
でも、その瞬間、手が止まった。
「このまま放っておけば死ぬんじゃないか。」
「そうしたら俺も親父も解放されるんじゃないか。」
そんな考えが頭をよぎった。
その時だった。
二匹の犬が悲鳴のような声で鳴き始めた。
散歩へ行けず、我慢の限界だったのだろう。
その場で、うんちとおしっこを漏らした。
その姿を見た瞬間、僕は我に返った。
急いで救急車を呼んだ。
救急車が来るまでの間、僕は犬を外へ連れ出し、急いで散歩だけ済ませた。
家へ戻ると、母のそばに一枚の紙が落ちていた。
遺書だった。
殴り書きの文字。
紙は何度も握り潰したように、しわだらけだった。
そこにはこう書かれていた。
「もう疲れました。お母さん(創人の亡くなった祖母)の所に行きます。お父さんとアイとエオ(2匹の犬の名前)のこと、お願いします。家にある物は何でも売って、お金に変えて、それでやり過ごしてください。さようなら。」
読み終えた瞬間。
悲しみより先に、怒りが込み上げた。
僕は意識のない母に向かって叫んだ。
「どれだけ自分勝手やねん!!」
「そのまま死ねぇぇぇ!!!!!!」
その直後。
遠くから救急車のサイレンが近付いてきた。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月16日 05:01
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第40話 2011年1月1日
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第39話 報われると思った』前回のお話↓『第38話 生きていく為に』前回のお話↓『第37話 世間からの戦力外通告』前回のお話↓『第36話 夢と挫折』前回のお話↓『第35話 終わりの後』前…ameblo.jp
新しい会社への入社が決まった。
父も退院した。
久しぶりに、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「これで、ようやく前へ進める。」
そんなことを思っていた。
年が明けた。
一月一日。
家族で迎えた静かな正月。
お祝い気分なんてなかった。
それでも、父が家にいる。
それだけで十分だった。
その日、父がトイレへ入った。
しばらくすると、ゆっくりと出てきた父が僕を見て言った。
「創人。」
「下血した。」
「病院、連れてってくれ。」
父の声は落ち着いていた。
でも、その表情を見た瞬間、ただ事ではないことだけは分かった。
僕はすぐに車を出した。
向かった先は、県立海王病院。
つい数日前に退院したばかりだった。
診察の結果、父はそのまま緊急入院となった。
ようやく始まると思っていた新しい生活は、また病院から始まった。
数日後。
一月五日。
僕は予定どおり新しい職場へ出勤した。
働かなければ生活できない。
だから、不安を抱えたまま仕事へ向かった。
しかし、その二日後。
一月七日の深夜。
一本の電話が鳴る。
県立海王病院だった。
「お父様が心筋梗塞を発症されました。」
「現在、生死の境をさまよっています。」
頭の中が真っ白になった。
僕は急いで病院へ向かった。
新しい一年は始まったばかりだった。
それなのに、僕たち家族の運命は、静かに、そして確実に崩れ始めていた。
― 続く ―
次回のお話↓ブログで全文を読む
- 2026年07月15日 05:02
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第39話 報われると思った
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第38話 生きていく為に』前回のお話↓『第37話 世間からの戦力外通告』前回のお話↓『第36話 夢と挫折』前回のお話↓『第35話 終わりの後』前回のお話↓『第34話 落日』前回のお話↓…ameblo.jp
介護の仕事を辞めてから、一週間ほどが過ぎた。
母の検査結果が出た。
手術が必要だと言われていたが、結果は通院治療で経過を見ることになった。
父の抗癌剤治療も順調に進み、容体は落ち着いていた。
少しだけ、張り詰めていた空気が和らいだ気がした。
僕は再び、仕事を探し始めた。
毎日のようにハローワークへ通い、求人票を見続けた。
そんな時、一件の求人が目に留まった。
訪問介護の会社だった。
僕はすぐに電話を掛けた。
対応してくれた社員の方は、とても丁寧だった。
「履歴書を送っていただけますか。」
その一言に、少しだけ希望が見えた。
僕はその日のうちに履歴書を書き上げ、速達で郵送した。
数日後。
一本の電話が鳴った。
相手は、その会社の社長だった。
「一度、お会いしたいと思います。」
面接の日程が決まった。
場所は、父が入院している県立海王病院の近くだった。
指定されたハローワークで手続きを済ませ、僕は面接へ向かった。
社長は穏やかな表情で僕を迎えてくれた。
面接が始まると、僕は包み隠さず話した。
父が肺癌で闘病中であること。
母も糖尿病を患っていること。
これからも病院へ付き添う日があること。
そして、前の会社を三日で辞めた理由も。
普通なら、不採用でも仕方ない。
僕はそう思っていた。
社長は最後まで黙って話を聞いてくれた。
そして静かに言った。
「事情はよく分かりました。」
「大変な状況ですね。」
「それでも、一緒に頑張ってみませんか。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
家庭の事情を話しても、受け入れてもらえた。
それだけで十分だった。
数日後。
採用の連絡が入った。
ようやく、もう一度働ける。
そう思った僕は、その足で父の病室へ向かった。
父はベッドの上で静かにテレビを見ていた。
僕は椅子に腰を下ろし、小さく口を開いた。
「……面接受かったわ。」
父はゆっくりと僕を見て、小さく頷いた。
「そうか……。」
「それは良かったな。」
少し間を置いて、父は静かに聞いた。
「この状況やけど……頑張れそうか?」
僕は少し笑って答えた。
「お金も無いし、やるしか無いやろ。」
父も少しだけ笑った。
「……そうだな。」
それ以上、言葉は続かなかった。
病室にはテレビの音だけが流れていた。
僕も父も何も話さない。
無言無音。
それが、あの頃の親子の日常だった。
数日後、父は退院することになった。
ようやく少しだけ、日常が戻ってくる。
僕はそう思っていた。
でも、その願いは、あまりにもあっけなく打ち砕かれることになる。
― 続く ―次回のお話↓
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- 2026年07月14日 05:02
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第38話 生きていく為に
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
ホームヘルパー二級。
ガイドヘルパー。
二つの資格を取得した。
夢を失った僕に残された選択肢は、それしかなかった。
求人はほとんどなく、介護職だけが人手不足だった。
正直、介護の仕事がしたかった訳じゃない。
ただ、働かなければならなかった。
それだけだった。
何社か応募を続け、ようやく一社の介護施設から採用の連絡をもらった。
契約社員。
それでも嬉しかった。
久しぶりに、「働ける場所」が見つかった。
二〇一〇年十二月。
僕は新しい職場へ向かった。
初めて経験する介護の仕事。
覚えることは多かった。
利用者さんの名前。
介助の方法。
職員同士の連携。
慣れないことばかりだった。
それでも逃げるわけにはいかなかった。
「ここで頑張ろう。」
そう自分に言い聞かせた。
十年間、好きな音楽だけを追い掛けて生きてきた。
だから今度は、現実と向き合わなければならない。
そう思っていた。
しかし、その思いは三日で終わる。
父の病状が急変した。
抗癌剤治療のため、緊急入院。
さらに同じ頃、母も糖尿病の合併症で手術が必要になるかもしれないと告げられた。
父と母。
二人が同時に病院へ通うことになった。
僕は迷った。
仕事を続けるか。
辞めるか。
答えを出すまで時間は掛からなかった。
入社して三日目。
僕は会社へ退職を申し出た。
職場の人たちは驚いていた。
当然だった。
入ったばかりの人間が辞める。
理由を聞かれ、父と母の状況を説明した。
申し訳ない気持ちしかなかった。
でも、この時の僕には、それ以外の選択肢はなかった。
こうして僕は、また仕事を失った。
音楽を失い。
仕事も失った。
自分の生きている毎日が、少しずつ色を失っていくように感じ始めた。
― 続く ―次回のお話↓ブログで全文を読む
- 2026年07月13日 05:01
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第37話 世間からの戦力外通告
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第36話 夢と挫折』前回のお話↓『第35話 終わりの後』前回のお話↓『第34話 落日』前回のお話↓『第33話 最後のピース』前回のお話↓『第32話 金と信頼』前回のお話↓『第31…ameblo.jp
実家へ戻ってきた。
十年近く人生を懸けてきた音楽は終わった。
仕事も辞めた。
気付けば、何もなくなっていた。
朝起きても、スタジオへ向かうことはない。
ライブの予定もない。
携帯が鳴ることも少なくなった。
時間だけが静かに流れていた。
そんな中で、一つだけ生活が変わった。
父の病院だった。
余命三か月と告げられてから、定期検診の日は僕が送り迎えをするようになった。
車の中でも。
病院でも。
帰り道でも。
無言無音。
それが、あの頃の日常だった。
そしてもう一つの現実。
仕事を探さなければならなかった。
でも、現実は想像以上に厳しかった。
正社員として働いた経験はない。
十年近く音楽だけを追い掛けてきた僕の職歴は、世間から見れば何もないのと同じだった。
当時は二〇〇九年。
リーマンショックの影響が色濃く残る超不景気。
僕たちの世代は就職氷河期世代と呼ばれ、仕事を探すことさえ簡単ではない時代だった。
僕は毎日のようにハローワークへ通った。
求人票を何枚も見た。
でも、僕の経歴で紹介できる求人は一件もなかった。
面接以前の問題だった。
履歴書を送ることさえできなかった。
職業選択の自由。
憲法にはそう書かれている。
でも、当時の僕には、その言葉は現実とはほど遠いものだった。
仕事を選ぶことなんてできない。
そもそも、選べる仕事がなかった。
ハローワークを出るたびに思った。
「世の中は、僕を必要としていないのかもしれない。」
そんな気持ちが、少しずつ心を支配していった。
それでも、生きていかなければならない。
目の前の現実は待ってくれない。
そんな時だった。
介護職だけは求人があった。
僕はホームヘルパー二級とガイドヘルパーの資格を取得することにした。
夢を失い、仕事も失った僕には、目の前にあることを一つずつこなしていくしかなかった。
仕事が見つからないこと。
父の病院へ付き添う日々。
この頃の僕は、それだけでも十分つらいと思っていた。
でも、この時の僕はまだ知らない。
この日々が、後に「平和だった」と思える日が来ることを。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月12日 05:02
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第36話 夢と挫折
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
父に仕事を辞めることを伝えた。
そして、音楽も辞めることを。
父は何も責めなかった。
ただ静かに話を聞いていた。
しばらく沈黙が続いたあと、父は机の引き出しから一つの封筒を取り出した。
「これ、持っとけ。」
中を見ると、三十万円入っていた。
僕は慌てて封筒を返そうとした。
「こんなん受け取られへん。」
父は首を横に振った。
「ええから。」
「活動費の赤字があるんやろ。」
「それで全部ケリつけろ。」
少し間を置いて、父は続けた。
「それとな。」
「お前のアパートの引っ越し代。」
「保険料。」
「年金。」
「細かいもん全部合わせたら、百万円以上は出してる。」
僕は言葉を失った。
知らなかった。
父は何も言わず、ずっと僕を支えてくれていた。
僕が夢だけを追い掛けられたのは、自分一人の力じゃなかった。
父が黙って背中を支えてくれていたからだった。
情けなかった。
何一つ親孝行もできていない。
それなのに父は、最後まで僕の夢を応援してくれていた。
数日後。
僕はメンバーを呼び出した。
「仕事も辞めた。」
「実家へ帰る。」
「だから、バンドも辞める。」
静かな時間が流れた。
最初に口を開いたのは海北だった。
「そう言うと思ってた。」
少し笑いながら僕を見て言った。
「家のこと、頑張れよ。」
「活動費は、有り難く使わせてもらう。」
その言葉に、僕は何も返せなかった。
松本も杉原も、引き止めることはしなかった。
最後に四人で握手を交わした。
「ありがとう。」
その一言だけで十分だった。
駅へ向かう帰り道。
僕たちは、それぞれ違う方向へ歩き始めた。
誰も振り返らなかった。
十年近く人生を懸けてきた音楽。
笑った日もあった。
悔し涙を流した日もあった。
全国ツアーを回ったこと。
CDを全国リリースできたこと。
ローカルテレビ番組のエンディングテーマに採用されたこと。
すべてが昨日のことのように思い出された。
でも、その夢は終わった。
仕事もない。
音楽もない。
未来も見えない。
残ったのは、父の
「帰って来てくれ。」
という言葉だけだった。
僕は、人生を賭けた夢が終わり、挫折を味わった。
この経験が後の人生にどれほど影響を及ぼすのか。
この時の僕は、まだ知らなかった。
-2章【家族消滅編】へ続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月11日 05:01
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第35話 終わりの後
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
解散ライブを終えた数日後。
僕は四十度近い熱を出して倒れた。
何年ぶりだろう。
気付けば、小学生の頃から通っている貝塚診療所の待合室に座っていた。
院長の貝塚先生は、子どもの頃から僕を診てくれている先生だった。
診察室へ入ると、先生は僕の顔を見るなり、穏やかに微笑んだ。
「大道くん、お久しぶりね。」
「風の噂で、いろいろ耳に入ってきているわ。」
そう言うと先生は血液検査の結果へ目を落とし、静かに眼鏡を外した。
そして僕を真っすぐ見つめた。
「……大道くん。」
「このままでは、死ぬよ。」
僕は思わず聞き返した。
「……死ぬって、僕がですか?」
先生は優しく頷いた。
「ええ。」
「あなたの身体は、ずっと前から悲鳴を上げていたの。」
「血液検査を見れば、免疫が極端に落ちていることはすぐ分かるわ。」
少し間を置き、先生は穏やかに続けた。
「でもね。」
「私は検査を見る前から分かっていたの。」
「あなたのお顔を見れば、十分だったもの。」
診察室が静まり返る。
先生はカルテを閉じ、静かに言った。
「大道くん。」
「人生には、立ち止まらなければいけない時があるの。」
「あなたは、いろいろなものを背負い過ぎた。」
「このまま無理を続ければ、本当に命を縮めてしまうわ。」
そして最後に、いつもの優しい笑顔で言った。
「今日は何も考えなくていい。」
「帰ったら、寝なさい。」
「今のあなたに必要なのは、頑張ることじゃない。」
「身体を休ませることよ。」
その言葉が胸に深く刺さった。
ずっと走り続けてきた。
仕事も。
音楽も。
休むことなんて考えたこともなかった。
でも、体だけは正直だった。
その頃、仕事でも限界を迎えていた。
当時働いていた音楽スタジオで、同僚と些細なことで口論になった。
すると相手は感情を抑えきれず、店内で僕を殴った。
その社員は会社を辞めることになった。
数日後、先輩社員から呼び出された。
「今回の件も含めて会社として判断した。」
「大道、お前ももう二十七歳や。」
「社員を目指すか。」
「それとも、准社員を辞めるか。」
二つの選択肢を突きつけられた。
僕は五年間、この会社で働いた。
サービス残業をしても文句は言わなかった。
給料が安くても、音楽と両立できるなら、それで良かった。
会社のために尽くしてきたつもりだった。
それでも、この扱いなのか。
そんな思いが込み上げた。
気付けば口が動いていた。
「辞めます。」
不思議なくらい迷いはなかった。
その瞬間、僕は仕事を失った。
そして、バンドの練習場所も失った。
帰り道。
父の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
「家に帰って来てくれへんか。」
あの時は答えられなかった。
でも今なら分かる。
僕はもう、一人では前へ進めなかった。
帰る場所は、もう決まっていた。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月10日 05:01
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第34話 落日
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第33話 最後のピース』前回のお話↓『第32話 金と信頼』前回のお話↓『第31話 夢を繋ぐために』前回のお話↓『第30話 夢と現実』前回のお話↓『第29話 夢の始まり』前回のお話↓『…ameblo.jp
新しく始まった僕たちは、前のバンドとはまるで違っていた。
ライブの営業もしない。
出演交渉もしない。
ツアーの予定も入れない。
ただ、ひたすらスタジオに籠もった。
練習をして、曲を作り、また練習する。
それだけの毎日だった。
そして、もう一つ大きく変わったことがあった。
「良いものは良い。」
「ここはダメ。」
誰か一人に任せるのではなく、全員が本気で意見をぶつけ合った。
音楽のこと。
バンドのこと。
そして、自分たち自身のこと。
逃げずに向き合い続けた。
そうしているうちに、三曲のデモ音源が完成した。
僕たちは、なけなしのお金をかき集めてレコーディングを行った。
完成した音源を持って、いつものライブハウスへ向かう。
店長は黙って最後まで聴いてくれた。
そして音源が終わると、笑いながら言った。
「いきなりやけど、トリの枠が空いてる日がある。」
「そこで初ライブ、やってみるか?」
断る理由なんてなかった。
怖さもあった。
でも、それ以上に自信があった。
「今度こそ、いける。」
根拠なんて何もない。
それでも、あの頃の僕たちは本気でそう信じていた。
期待しかなかった。
ライブ当日。
前のバンドから応援してくれていたお客さんも、たくさん足を運んでくれた。
そして、本番が始まった。
演奏中、機材トラブルもあった。
それでも誰一人止まらなかった。
四人で最後まで演奏し切った。
心の底から楽しかった。
これが、自分たちの新しいスタートだと思っていた。
最後の一曲。
渾身の演奏を終え、僕たちはステージを降りた。
静寂が流れる。
でも――
アンコールは起きなかった。
イベント終了後。
精算を終えると、店長が僕を呼び止めた。
「前のバンドと曲調が変わったから、昔からのお客さんは戸惑ったんやろな。」
「でも、俺は良かったと思うで。」
「これからって感じがした。」
少し間を置いて、店長は続けた。
「アンコールは無かったけどな、お客さんが小声で」
『アンコールしてええの?』
「って話してるのは聞こえた。」
「あの空気、お前も分かってたやろ?」
「ハジメ。あそこは、いつものお前なら一言声を掛けて流れを作れた。」
「まぁええ。次や、次。」
そう言って店長は笑った。
でも、その言葉は僕の心には届かなかった。
僕の中で、何かが音もなく壊れた気がした。
まるで世界中の音が消えてしまったような、静かな無音だった。
今思えば――
あの日が、僕の夢がゆっくりと沈み始めた「落日」だった。
― 続く ―
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- 2026年07月09日 05:01
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第33話 最後のピース
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第32話 金と信頼』前回のお話↓『第31話 夢を繋ぐために』前回のお話↓『第30話 夢と現実』前回のお話↓『第29話 夢の始まり』前回のお話↓『第28話 白い影』前回のお話↓『第…ameblo.jp
二階堂が脱退することは決まった。
最後に本人はこう言った。
「活動費は返す。」
しかし、その約束が守られることはなかった。
さらに二階堂は、
「俺が作った曲は、もうライブで演奏せんといてほしい。」
そう言った。
正直、何を言っているのか分からなかった。
活動費は払わない。
それなのに、自分の曲は演奏するなと言う。
僕には理解できなかった。
それでも海北は静かに答えた。
「……その条件でいこう。」
その結果、僕たちは演奏できる曲のほとんどを失った。
すでに決まっていたライブ。
インディーズフェス。
その多くをキャンセルせざるを得なくなった。
僕は関係者一人ひとりの元へ足を運び、事情を説明した。
そして、何度も頭を下げた。
土下座もした。
当然、出演料が戻ってくることもなかった。
海北は、その出来事があまりにもショックだったのか、一時期部屋へ引きこもってしまった。
そんな僕たちを見ていた、当時拠点にしていたライブハウスの店長が声を掛けてくれた。
「最後に解散ライブやれ。」
「二階堂のことは俺が抑えたる。」
その一言で、急遽解散ライブを行うことが決まった。
でも、一つだけ問題があった。
メンバーが一人足りなかった。
だから僕は杉原にヘルプをお願いした。
初めてのリハーサル。
正直、不安しかなかった。
短期間で曲を覚えられるのか。
ライブは成立するのか。
そんな心配をよそに、杉原は何事もなかったかのように音を重ねていった。
僕たちは驚いた。
「こんな短期間で、ここまで合わせられるんか。」
その一言に尽きた。
そして迎えた解散ライブ。
大きなトラブルもなく、無事に最後のステージを終えることができた。
ライブが終わり、四人で食事をしながら自然と笑っていた。
あれだけギスギスしていた空気が、嘘のようだった。
その時だった。
海北が口を開いた。
「このまま四人でやらへん?」
僕も松本も、同じことを考えていた。
杉原は少し驚いた表情を見せたが、
「僕で良ければ。」
と笑って答えてくれた。
こうして僕たちは、新しい一歩を踏み出すことになった。
今までのバンドには、たくさんの思い出があった。
苦しかったことも、嬉しかったことも全部詰まっていた。
だからこそ、その名前には区切りを付けたかった。
そして、新しい名前を付けた。
The Last Piece
「最後の一人が加わり、最後のピースが揃った。」
そんな意味を込めたバンド名だった。
この時の僕たちは、本気で思っていた。
この四人なら、もっと遠くまで行ける。
そう信じていた。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年07月08日 05:02
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第32話 金と信頼
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第31話 夢を繋ぐために』前回のお話↓『第30話 夢と現実』前回のお話↓『第29話 夢の始まり』前回のお話↓『第28話 白い影』前回のお話↓『第27話 見舞いには行かなかった』前回のお…ameblo.jp
三枚目のCDは無事にリリースされた。
ありがたいことに、収録曲の一つがローカルテレビ番組のエンディングテーマにも採用された。
全国ツアーも無事に走り切った。
インディーズバンドとしては、少しずつ結果も出始めていた。
それでも、現実は何も変わらなかった。
音楽だけで生活することはできない。
活動を続けるために、それぞれが仕事をしながらバンドを続けていた。
活動費も相変わらず自腹だった。
そんな中、二階堂の未払いは増え続けていた。
「今月は厳しい。」
「来月まとめて払う。」
その言葉を何度も信じた。
仲間だから。
そう思っていた。
でも、未払いの金額が増えるたびに、僕の中の不信感も大きくなっていった。
それだけではなかった。
少しずつ、二階堂の態度も変わっていった。
周りへの配慮より、自分の考えを優先することが増えていった。
少なくとも、当時の僕にはそう見えていた。
もちろん、僕も我慢していた。
ここまで続けてきたバンドを終わらせたくなかったからだ。
それでも、積もり積もったストレスは限界を迎えていた。
ある日、その苛立ちは海北へ向かってしまった。
お互いに感情を抑えきれず、殴り合いの喧嘩になった。
今思えば、海北に怒っていたわけじゃない。
お互いに行き場のない感情をぶつけてしまっただけだったのだと思う。
そんなある日、一つの事件が起きた。
ライブイベントの日。
自分たちの出演が終わり、他の出演バンドの演奏を見ていると、主催者から声を掛けられた。
「打ち上げ、何人参加ですか?」
僕はメンバーを探した。
海北がいた。
松本もいた。
でも、二階堂の姿だけがなかった。
嫌な予感がした。
携帯を見ると、一通のメールが届いていた。
「つまらないから先に帰る。」
その一文を見た瞬間、僕の中で何かが切れた。
イベントはまだ終わっていない。
出演者への挨拶もある。
お世話になった人への礼儀もある。
それをすべて放り出して帰る。
僕には、それだけは許せなかった。
その夜、僕は海北と松本に言った。
「選んでくれ。」
「二階堂を辞めさせるか、俺が辞めるか。」
三人で朝まで話し合った。
そして、一つの結論を出した。
二階堂には脱退してもらう。
ただ、一つだけ問題が残った。
すでに決まっているライブやツアーを、どうするのか。
キャンセルすれば、多くの人に迷惑を掛けてしまう。
だから僕は、一人のミュージシャンに連絡をした。
杉原タイジ。
当時、僕が働いていたスタジオで練習していたお客さんだった。
全国大会優勝という実績を持つ実力者。
それでも、音楽だけで食べていくことはまだできず、試行錯誤中だった。
僕は事情を説明し、こう頼んだ。
「力を貸してくれへんか。」
杉原は少し考えたあと、
「分かりました。」
と、快く引き受けてくれた。
この時は、決まっているライブを乗り切るため、ヘルプとしてお願いしただけだった。
まさか、この出会いが僕の最後のバンドへと繋がっていくとは、この時はまだ思ってもいなかった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月07日 05:02
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第31話 夢を繋ぐために
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
二枚目のCDをリリースし、全国ツアーも回った。
ありがたいことに、バンドの名前は少しずつインディーズシーンで知られるようになっていった。
ライブに来てくれるお客さんも増えた。
「CD買いました。」
そんな言葉を掛けてもらえることも増えた。
それでも現実は変わらなかった。
音楽だけで生活できるほど甘い世界ではなかった。
そんな中、所属していた東京の事務所が一時活動を停止した。
正直、「ここで終わりかもしれない。」
そう思った。
でも、諦めることはできなかった。
ここまで積み上げてきたものを、自分から終わらせたくなかった。
だから僕は、もう一度動いた。
ライブハウスへ連絡し、出演交渉をする。
全国ツアーの日程を組み直す。
支援してくれる人を探す。
事務所の名前は借りていたが、営業やマネジメントはほとんど僕が一人で動いていた。
その結果、小さな個人レーベルとのご縁があり、三枚目のCDをリリースできることになった。
本当に嬉しかった。
「まだ終わっていない。」
そう思えた瞬間だった。
しかし、喜びと引き換えに現実はさらに厳しくなった。
ツアーの行き先は決まっていた。
でも、資金はなかった。
レコーディング費。
遠征費。
ガソリン代。
宿泊費。
活動を続けるために必要なお金は、すべて自分たちで用意するしかなかった。
そこで、メンバー全員で活動費を出し合うことになった。
夢を続けるために必要なお金だった。
誰も反対はしなかった。
最初は――。
でも、その約束は長くは続かなかった。
二階堂の活動費が、少しずつ未払いになっていった。
「今月は厳しい。」
「来月まとめて払う。」
そんな言葉を、僕は信じていた。
いや、信じたかった。
仲間だったから。
夢は、一人では追えない。
だからこそ、仲間を疑いたくなかった。
しかし、未払いの金額が増えるたびに、僕の中には少しずつ不信感が募っていった。
そして、その不信感は、やがて決定的な出来事へと繋がっていくことになる。
― 続く ―次回のお話↓
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- 2026年07月06日 05:02
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第30話 夢と現実
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
二階堂コウスケが加入してから、バンドの勢いはさらに増していった。
「もっと上を目指そう。」
その想いだけは、四人とも同じだった。
僕たちは東京のインディーズレーベルへ自ら足を運び、デモ音源を持って何度も売り込みを続けた。
そして、その想いが届いた。
契約が決まり、全国リリースが決定。
全国ツアーも決まり、夢だった音楽だけの生活が少しだけ現実味を帯び始めていた。
ただ、一つだけ世間が知らないことがある。
事務所には所属したものの、マネジメントまですべて任せられるような環境ではなかった。
ライブハウスへの出演交渉。
全国ツアーの日程調整。
ブッキング。
電話。
出演依頼。
そういった仕事は、ほとんど僕が担当していた。
バンドには、それぞれ役割があった。
曲を書く人。
アレンジをする人。
そして、バンドを動かす人。
僕は自分の役割を果たそうと必死だった。
名前は少しずつ知られるようになった。
でも、それだけでは生活できない。
レコーディング費用。
遠征費。
機材費。
活動を続けるためには、多くのお金が必要だった。
そのため、活動費という名目で、メンバー全員が毎月自腹でお金を出し合いながら活動を続けていた。
そんな中、少しずつバンドの空気が変わり始める。
当時の僕には、二階堂が少しずつ変わっていくように見えた。
自分の考えを押し通すことが増え、周りへの配慮も少しずつ薄れていった。
そして僕は、どこかで感じていた。
「曲を書いていない僕は、何もしていないと思われているのかもしれない。」
もちろん、口に出して言われたわけではない。
でも、そんな空気を感じる場面が増えていった。
二階堂の作る曲は評価が高かった。
ライブでも反応は良く、関係者からも褒められていた。
でも、僕には最後までその良さがよく分からなかった。
もしかしたら、自分の感性が追いついていないだけなのかもしれない。
そう思うようにしていた。
僕が本当に好きだったのは、海北と一緒に作る音楽だった。
だからこそ、この四人ならもっと先へ行けると信じていた。
しかし、その頃にはもう、僕たちの歯車は少しずつ狂い始めていた。
誰も、そのことには気付いていなかった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月05日 05:03
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第29話 夢の始まり
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第28話 白い影』前回のお話↓『第27話 見舞いには行かなかった』前回のお話↓『第26話 親父の告白』前回のお話↓『第25話 医者も商売。』前回のお話↓『第24話 離婚してくれ…ameblo.jp
父の余命が三か月と告げられた頃。
僕が十年近く追い続けてきた音楽も、静かに終わりを迎えようとしていた。
僕がこのバンドに入ることになったきっかけは、高校時代の友人からの一本の電話だった。
「メンバーが一人抜けた。手伝ってくれへんか?」
それが、すべての始まりだった。
最初は軽い気持ちだった。
まさか、このバンドに自分の青春を懸けることになるなんて思ってもいなかった。
ライブを重ね、少しずつ活動の幅も広がっていった。
しかし、現実は甘くなかった。
ライブが決まっているにもかかわらず、オリジナルメンバーが一人、また一人と脱退していった。
普通なら、その時点で解散していてもおかしくない状況だった。
それでも僕は、終わらせたくなかった。
大学の軽音サークルで出会った同期の海北コータロー、そして一年後輩の松本ヒサトに頭を下げ、力を貸してもらった。
二人のおかげで、バンドは再び動き始めた。
そんなある日、脱退した元メンバーから思いもよらない言葉を掛けられた。
「そのバンド、返してくれ。」
正直、意味が分からなかった。
「自分たちから辞めたんちゃうんか。」
当時の僕は、そう思うことしかできなかった。
でも、この話を書いている今なら、少しだけ分かる気もする。
そのバンドは、高校時代に軽音楽大会でグランプリを獲得した、彼らにとって青春そのものだった。
だから、自分たちが抜けたあともバンドが残り、別のメンバーで活動を続けていることを複雑に感じていたのかもしれない。
もちろん、それでも当時の僕はバンドを返すつもりはなかった。
「自分たちから辞めたんやろ。」
その気持ちは最後まで変わらなかった。
残った僕たちはライブを重ね、オーディションにも挑戦した。
そして、インディーズデビューが決まった。
あの時は、本気で夢が現実になるかもしれないと思っていた。
その後、新たなメンバーとして二階堂コウスケが加入した。
ようやく理想の四人が揃った。
僕は、このメンバーならもっと先へ行けると信じていた。
この時は、まだ知らなかった。
夢の終わりは、すぐそこまで来ていたことを。
-続く-次回のお話↓
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- 2026年07月04日 05:04
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第28話 白い影
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
八月の半ば。
父から再び電話が掛かってきた。
「話がある。飯でも行かんか。」
待ち合わせは、前と同じ焼き鳥屋だった。
前回とは違い、父の表情にはどこか疲れが見えた。
席に着くと、父はしばらく黙ったままビールを口に運んでいた。
僕は耐えきれずに聞いた。
「急にどうしたん?」
父はゆっくり箸を置き、小さく息を吐いた。
「単刀直入に言うぞ。」
「ワシは、もう長くないかもしれん。」
僕は思わず聞き返した。
「……どういうこと?」
父は静かに話し始めた。
「最近、体重がめっきり減ってな。」
「咳もずっと止まらへん。」
「一年ぶりに健康診断へ行ったら、肺に影がある言われた。」
僕は驚いた。
「一年ぶり?」
「毎年ちゃんと受けてたやん。」
父は少しだけ苦笑いを浮かべた。
「去年は面倒くさくてな。」
「一回くらい大丈夫やろと思ってしもた。」
そして父は続けた。
「詳しい検査結果は来週出る。」
「でも……何となく嫌な予感がするんや。」
そう言うと父は、真っすぐ僕を見つめた。
「お前……家に帰って来てくれへんか。」
僕は返事ができなかった。
数日後。
検査結果が出た。
診断は、肺癌 ステージ4。
そして医師から告げられた余命は、三か月だった。
父の肺に映っていた”白い影”は、ただの影ではなかった。
それは、父の命の終わりを告げる影だった。
僕は、その現実を受け入れることができなかった。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月03日 05:03
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第27話 見舞いには行かなかった
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第26話 親父の告白』前回のお話↓『第25話 医者も商売。』前回のお話↓『第24話 離婚してくれ』前回のお話↓『第23話 気付かなかった想い』前回のお話↓『第22話 父の「すまん」…ameblo.jp
母は腎臓癌だった。
父から話を聞いたあと、詳しいことを教えてもらった。
もともと母は糖尿病を患っていた。
しかし、血糖値は二〇〇を超える状態が続き、薬を飲んでも一向に改善しなかった。
その影響で眼底出血を起こし、視界も徐々に狭くなっていたという。
もちろん、その間も母の言動は変わらなかった。
父や近所の人たち。
自分の姉や親戚。
気に入らないことがあるたびに怒鳴り散らし、周りは振り回され続けていた。
そこで大学病院で詳しく検査を受けた結果、腎臓癌が見つかったそうだ。
幸い、手術は成功した。
病巣のある腎臓を一つ摘出し、命は助かった。
父は僕に言った。
「一回くらい見舞いに行ったれ。」
でも僕は首を横に振った。
どうしても行く気にはなれなかった。
それどころか、その時の僕は心のどこかで、
「このまま死んでくれへんかな……。」
そう思ってしまった。
その瞬間、自分で自分が怖くなった。
人の死を願うなんて、今まで考えたこともなかったからだ。
結局、一度も見舞いには行かなかった。
退院した母は、僕がお見舞いに来なかったことに腹を立てていた。
しかし、それで何かが変わることはなかった。
血糖値はまた二〇〇を超え、
「手術跡が痛い。」
と周囲に訴え続けた。
そして、自殺未遂も繰り返した。
死ねないと分かっていながら。
そんな日々が続いた八月半ば。
父から、また電話が掛かってきた。
「また飯でも行かんか。」
前と同じ焼き鳥屋だった。
僕はまだ、この時は知らなかった。
この食事が、父と交わす最後の穏やかな時間になることを。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年07月02日 05:02
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第26話 親父の告白
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第25話 医者も商売。』前回のお話↓『第24話 離婚してくれ』前回のお話↓『第23話 気付かなかった想い』前回のお話↓『第22話 父の「すまん」』前回のお話↓『第21話 現実感のない…ameblo.jp
父が倒れ、退院してから二年が過ぎた。
僕は二十七歳になっていた。
相変わらずバンドを続けていたが、現実は厳しかった。
三枚目のCD制作を考えてはいたものの、それだけで生活できるような状況ではなかった。
そんなある日。
父から一本の電話が掛かってきた。
「話がある。飯でも行かんか?」
僕はすぐに断った。
「オカンも居るんやろ?それなら行かへん。」
すると父は静かに言った。
「今は家におらん。入院してる。」
その一言で、僕は何が起きているのか分からなくなった。
待ち合わせたのは実家から徒歩二十分ほどの焼き鳥屋だった。
思い返せば、父と二人きりで食事をするのは十二年ぶりくらいだったと思う。
席に着くなり僕は聞いた。
「オカン、入院って精神科?」
父は首を振った。
「違う。まぁ精神科も診てもろてるけど、今回は外科や。」
「外科!?」
「なんや、脂肪でも切り落としてもらえるんか?」
僕が冗談を言うと、父は苦笑いを浮かべた。
だが、その表情はどこか重かった。
しばらく沈黙が続いたあと、父が口を開いた。
「お前、バンドはいつまで続けるつもりや。」
僕は答えた。
「来年の春に三枚目のCDを出す予定や。それ次第かな。」
そう答えながらも、本当は分かっていた。
バンドだけで食べていくのは、もう難しい。
でも、その本音だけは父に話すことができなかった。
すると父が静かに話し始めた。
「前にな、お前に『離婚してくれ』って言われたやろ。」
「あの時、本気で考えたんや。」
「でも出来へんかった。」
「離婚したら、あいつは自殺すると思ったからな。」
僕は思わず言い返した。
「そんなこと言うてる場合ちゃうやん。」
「あの心療内科クリニックなんか事情話しても笑うだけやったで。」
父は驚いた顔をした。
「……お前、院長先生の所へ行ったんか。」
少し黙ったあと、小さく笑った。
「……まぁ、今となっては、もうどうでもええことや。」
「どういうこと?」
僕が聞き返すと、父はゆっくりと僕を見た。
そして静かに言った。
「お母さん……癌になったんや。」
その言葉を聞いた瞬間、僕は持っていた焼き鳥の串を床に落としていた-続く-次回のお話↓
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- 2026年07月01日 05:01
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第25話 医者も商売。
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第24話 離婚してくれ』前回のお話↓『第23話 気付かなかった想い』前回のお話↓『第22話 父の「すまん」』前回のお話↓『第21話 現実感のない朝』前回のお話↓『第20話 逃げたかっ…ameblo.jp
父が退院してから、母はさらに破壊的になっていった。
父の職場へ何度も電話を掛け、
「何時に帰るの!?」
「犬の散歩どうするのよ!!」
「どうして私を一人にするの!!!」
と怒鳴り続けた。
僕の方も同じだった。
仕事中に電話が掛かってくることは日常茶飯事。
ひどい時には、僕が住んでいたアパートまで押しかけて来て、玄関のドアを何度も蹴りながら叫んでいた。
「お願いだから晩御飯一緒に食べてよ!!」
昼も夜も関係ない。
ある日には、同じアパートに住む職人風のおじさんから、
「お前、いい加減あのオバン何とかせんと殺すぞ。」
と本気で怒鳴られたこともあった。
僕も限界だった。
父も限界だった。
なのに母だけは止まらない。
そこで僕は父に聞いた。
「なぁ親父、本当に病院行ってるんか?」
父は静かに答えた。
「行ってる。」
「先生の言う通り薬も飲んでる。」
しかし僕には、良くなっているようには到底見えなかった。
むしろ悪化しているようにしか思えなかった。
だから僕は病院へ向かった。
夕方の診察開始前。
受付で事情を説明すると、診察室へ通された。
そこには院長が座っていた。
僕は今まで起きたことを全て話した。
母に家を追い出されたこと。
アパートまで押しかけて来ること。
父が倒れたこと。
近所にまで迷惑を掛けていること。
そして最後に聞いた。
「先生、この先どうするつもりなんですか?」
院長は落ち着いた口調で言った。
「時間がかかるんですよ。」
「家族の協力も必要です。」
僕は食い下がった。
「母は先生に『息子さんと離れて暮らしたらどうですか』と言われたって聞いてます。その結果、本当に僕は家を追い出されたんですよ。」
「それで今はアパートまで来て騒ぐんです。」
「父も倒れました。」
「これから先、どういう治療をするつもりなんですか?」
すると院長は少し笑いながら言った。
「それは家族の問題だから私に言われてもね。」
その瞬間、頭に血が上った。
「何笑っとんねん!!」
「二年間も親父はここへ通わせて、診察代も薬代も払ってるんやぞ!!」
「良くなるどころか悪化してるやないか!!」
「これで終わりなんか!?」
しかし返ってきた言葉は、
「お帰り下さい。」
それだけだった。
何を言っても同じだった。
僕は診察室を後にした。
怒りはあった。
でも、それ以上に妙に冷めていた。
この時、僕は一つの現実を知った。
医者は病気を診る。
薬も出す。
治療もする。
でも、その人の人生までは背負わない。
そこから先は、対象外なのだ。
良い悪いではない。
それが仕事なのだろう。
二年間通い続け、お金を払い続けても、その先の人生まで責任を負ってくれるわけではない。
その現実を、僕はこの日初めて思い知った。
そして、解決しない問題は最後には当事者へ返ってくる。
自分の価値観が、いかに世の中では通用せず幼稚だったのか。
それを思い知る最初の出来事だった。
-続く-次回のお話↓
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- 2026年06月30日 05:07
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第24話 離婚してくれ
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
父が救急搬送されてから数日後、無事に退院することになった。
病名は胃潰瘍。
幸い処置が早かったこともあり、大事には至らなかった。
僕は心の底からホッとした。
だが、先生から言われた言葉が頭から離れなかった。
「ストレスをあまりかけないようにして下さいね。」
僕はその時、真っ先に母の顔が浮かんだ。
「あいつが原因や……。」
そう思わずにはいられなかった。
退院後、父はしばらく自宅で療養することになった。
僕も入院の手続きや着替えの準備などで何度も家と病院を往復した。
その度に母は泣き叫びながら僕に話しかけてきた。
父のことを心配しているようにも見えた。
だが僕には、自分が父を追い詰めているという自覚があるようには思えなかった。
僕はそんな母を見るたびに、何とも言えない気持ちになった。
そして、ようやく落ち着いたある日。
僕は父に切り出した。
「なぁ親父……。」
「オカンと離婚してくれへんかな……。」
父は黙ったままだった。
僕は続けた。
「このままやったら、あの人が自殺する前に親父か俺が先に死んでまうで。」
この話は初めてではなかった。
今までも何度か父に話したことがあった。
しかし、その度に父は聞き流していた。
だから今回も同じだと思っていた。
しばらく沈黙が続いた後、父は静かに言った。
「……今はその話はちょっと。」
そして少し間を空けて続けた。
「でもな……また言うわ。」
僕は何も言えなかった。
父なりに何かを考えていたのかもしれない。
ただ、その時の僕には分からなかった。
この時の僕は、父が助かったことで最悪の事態は避けられたと思っていた。
しかし、それは大きな勘違いだった。
家族崩壊は、まだ始まったばかりだった。
-続く-次回のお話↓
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- 2026年06月29日 05:02
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第23話 気付かなかった想い
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
潮風総合病院に着いた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。
病院の自動ドアが開くと同時に、僕は自分でも信じられないくらいの速さで受付へ駆け込んだ。
「親父が……父が死にかけています!!」
「どうか……どうか助けてください!!」
気付けば、そう叫んでいた。
その声を聞くと、三人の看護師さんが一斉に動き出した。
父は助手席から車椅子へ移され、そのまま救命病棟へ運ばれていく。
僕は父の荷物を抱えたまま、その後を追いかけることしかできなかった。
何をすればいいのか分からない。
ただ、父から目を離したくなかった。
すると一人の看護師さんが僕に声を掛けた。
「ご家族の方ですね。」
「荷物はそのベッドの下へ置いて、外でお待ちください。」
僕は涙を拭いながら頷き、言われた通り荷物を置いた。
その時だった。
「誰!? こんな所に荷物を置いたのは!!」
救命病棟に鋭い声が響いた。
振り返ると、ベテランらしき看護師さんが眉をひそめながら周囲を見回している。
「邪魔じゃない!! 誰が置いたの!?」
僕には、そのやり取りで父の処置の手が止まったように見えた。
頭の中で何かが切れた。
「おいッ!!」
思わず大声が出た。
「そんなこと今どうでもええやろ!!」
「親父が死にそうなんやぞ!!」
「荷物は、そこの看護師さんに言われて俺が置いたんや!!」
「文句あるなら俺に言え!!」
病棟の空気が一瞬静まり返った。
すると別の看護師さんがすぐに僕の前へ来てくれた。
「申し訳ありません。」
「今、処置をしていますので、こちらでお待ちください。」
その落ち着いた声を聞いて、僕も我に返った。
黙って頷き、待合の長椅子へ腰を下ろした。
しかし、じっと座っていることができなかった。
心が落ち着かない。
その時、車を病院の玄関前に停めたままだったことを思い出した。
僕は慌てて外へ出て、車を駐車場へ移動させた。
今思い返しても不思議だ。
僕は何かしていないと落ち着いていられなかった。
そして、もう一つ不思議だったことがある。
僕はずっと、父は僕にあまり興味がない人だと思っていた。
だから僕自身も、父にあまり興味を持たないまま生きてきた。
父が倒れた時も、自分があんなふうに怒鳴るなんて思ってもみなかった。
でも、あの時の僕は理屈では動いていなかった。
気付けば体が勝手に動き、気付けば涙が溢れていた。
あの日、僕は初めて思った。
「俺は親父の息子やったんや……。」
今まで感じたことのなかった、不思議な感覚だった。
父と僕は、ずっと血の繋がった親子だった。
それなのに、あの日初めて「血の繋がった家族なんだ」と実感した。
うまく言葉では説明できない。
でも、あの日を境に、父に対する僕の気持ちは少しだけ変わり始めていた。
― 続く ―
次回のお話↓
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- 2026年06月28日 05:02
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第22話 父の「すまん」
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第21話 現実感のない朝』前回のお話↓『第20話 逃げたかった』前回のお話↓『第19話 母が壊した僕の居場所』前回のお話↓『第18話 今日からあなたの家はここです』前回のお話↓『第17…ameblo.jp
実家に着くと、そこには泣きわめく母と、ソファに横たわる父の姿があった。
父の顔は青白く、明らかに様子がおかしかった。
「なんで救急車呼ばへんのや!?」
思わず声を荒げた。
すると父は苦しそうに息をしながら答えた。
「創人、お前は知らんだろうが、最近の病院は紹介状がないと、たらい回しにされることもあるんや……。」
「いつも診てもらってるいささか内科の伊佐坂先生が、潮風総合病院に連絡してくれてる。」
「創人……車、運転してくれ。」
僕は父を支えながら助手席へ座らせ、そのまま潮風総合病院へ向かった。
家を出る時、窓から母の姿が見えた。
泣き崩れ、その場にしゃがみ込んでいるだけだった。
その姿を見て、僕は心のどこかで思ってしまった。
「なんだかなぁ……。」
病院へ向かう車の中。
父がぽつりと口を開いた。
「昨日は朝まで仕事やったんか?」
「そうやで。」
「起きて振り返ったら、いきなり磯野さんがおってビックリしたわ。」
そう答えると、父は静かに言った。
「……すまんかったな。」
「……えっ?」
僕は耳を疑った。
父が僕に謝った。
そんなことは、生まれて初めてだった。
子どもの頃、一緒にキャッチボールをしたこともある。
遊園地へ連れて行ってもらったこともある。
でも、それは数えるほどだった。
父は仕事人間で、昔から口数も多くない人だった。
だから僕は、父は僕にあまり興味がないんだろうと思いながら育ってきた。
そんな父の口から出た「すまん」という一言。
だからこそ、その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
父は再び口を開いた。
「すまん……。」
「お父さん、目の前が真っ暗になって……。」
その言葉を最後に、父の反応が急になくなった。
「親父!」
「おい、親父!!」
何度呼び掛けても返事はない。
気付けば、僕の目から涙が溢れていた。
バックミラーに映る自分の顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
何が起きているのか分からない。
ただ無我夢中でアクセルを踏み続けた。
そして、ようやく潮風総合病院へ到着した。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年06月27日 05:06
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第21話 現実感のない朝
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
家を出て一年が過ぎた。
あの日も、仕事を終えて朝方にアパートへ帰り、そのまま眠りについた。
どれくらい寝ていたのだろう。
ふと、人の気配を感じた。
僕しかいないはずの部屋に、誰かが立っている。
眠たい目をこすりながら振り返ると、一人の女性が僕を見下ろしていた。
「うわぁーーーーーーー!!」
飛び起きるほど驚いた。
心臓がバクバクしている。
よく見ると、その人は中学時代の同級生のお母さん、**磯野さん(仮名)**だった。
「えっ!? 磯野さん!? 何でここにいるんですか!?」
磯野さんは少し息を切らしながら言った。
「管理人さんに事情を話して、鍵を開けてもらったの。」
「それより、寝てる場合じゃない!」
その一言で、嫌な予感がした。
僕は反射的に聞いた。
「……どうせ、またオカンが何かやらかしたんですか?」
正直、その時はそう思った。
源家の母は、自殺未遂や騒動を何度も繰り返していた。
だから今回も、その類いだと思った。
「放っといてください。どうせまた疲れたら寝ますって。」
すると磯野さんは、強く首を横に振った。
「違うの!」
「お父さんが急に苦しみ出して倒れたの!」
「お母さんから泣きながら電話があったの。でも、創人くん、お母さんの携帯を着信拒否にしてるでしょ?だから私が来たの。」
僕は言葉を失った。
「……えっ?」
それしか出てこなかった。
父が倒れた。
その言葉の意味は分かる。
でも、不思議なくらい実感が湧かなかった。
まるで映画のワンシーンを見せられているような感覚だった。
何が起きているのか分からない。
何を考えればいいのかも分からない。
僕は財布だけを掴むと、着の身着のまま部屋を飛び出した。
ただ言われるまま、実家へ向かって走っていた。
-続く-
※本ブログは実体験をもとに執筆していますが、プライバシー保護のため、登場人物の名前はすべて仮名です。
次回のお話↓
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- 2026年06月26日 05:03
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第20話 逃げたかった
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓
『第19話 母が壊した僕の居場所』前回のお話↓『第18話 今日からあなたの家はここです』前回のお話↓『第17話 母が母じゃなくなっていった』前回のお話↓『第16話 最初の違和感』前回のお話↓『…ameblo.jp
母の暴走は止まることを知らなかった。
25歳頃になると、母は睡眠薬を大量に飲み、自殺未遂を繰り返すようになった。
ただ、本気で死ぬつもりだったとは、僕には思えなかった。
決まって父に電話をかけ、
「今から死ぬからね……バイバイ。」
そう言ってから睡眠薬を飲む。
まるで、
「死ぬから止めて。」
そう言っているようにしか見えなかった。
搬送先の病院では意識が戻る。
すると今度は医師や看護師に暴言を吐き、その日のうちに無理やり退院する。
そんなことが、22歳頃から約5年間で6〜7回も繰り返された。
父はその度に駆け回り、救急車を呼び、病院へ向かった。
親戚も振り回された。
近所の人たちも巻き込まれた。
そして僕も、その一人だった。
正直に言う。
僕は母から逃げていた。
携帯は着信拒否にしていた。
電話が鳴るたびに、
「また何かあったのか……。」
そう思う生活に疲れ切っていたからだ。
もちろん、母も苦しかったのだと思う。
でも当時の僕には、
「苦しいから死んで楽になりたい。」
そう言って現実から逃げ、その度に周りの人を巻き込んでいるようにしか見えなかった。
だから同情する余裕なんてなかった。
助けたいという気持ちよりも、
「もう勘弁してくれ。」
それが僕の本音だった。
そんなある日の朝。
仕事を終えてアパートで眠っていた僕の人生を、大きく変える出来事が突然訪れることになる。
-続く-
次回のお話↓
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- 2026年06月25日 05:06
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第19話 母が壊した僕の居場所
( シルベットさんのプロフィール)
前回のお話↓『第18話 今日からあなたの家はここです』前回のお話↓『第17話 母が母じゃなくなっていった』前回のお話↓『第16話 最初の違和感』前回のお話↓『第15話 初めて自分で選んだ道』前回のお話↓『第14話…ameblo.jp
母の暴走は、まだ始まったばかりでした。
僕が22歳の頃、通っていたJAZZスクールのドラムの師匠から、ある言葉を掛けられました。
「表に立つ人間は、裏方の仕事を知らなければダメだ。」
その言葉がきっかけで、系列のJAZZ LIVEハウスを紹介していただき、ウェイターとして働くことになりました。
そこは演奏も、お酒も、本当に素晴らしいお店でした。
プロの演奏を間近で見られる。
ミュージシャンやお客様との出会いがある。
お金以上に学べることがたくさんあり、僕にとっては大切な場所でした。
もちろん、良いことばかりではありません。
店長の「ママ」は気性が激しく、気に入らないことがあると、お客様や出演者、アルバイトにも厳しく接する人でした。
それでも僕は、師匠が紹介してくださった職場です。
「ここで認めてもらいたい。」
そんな思いで毎日必死に働いていました。
ところが、その居場所を壊したのは母でした。
大学卒業を前に、母は自分の生徒さんや知人から、
「親子共演を見てみたい。」
と言われたそうです。
そして僕に相談する前に、LIVEハウスへ出演交渉を進めていました。
気付けばポスターには僕の名前。
勤務先のスケジュールにも出演予定が載っていました。
もう後には引けませんでした。
大学時代のバンド仲間に頭を下げ、協力してもらい、何とか本番を迎えました。
ライブは大盛況でした。
これで終わると思っていました。
でも、本当の問題はその後でした。
LIVEハウスから提示されたレンタル代について、母は納得できなかったようです。
事務所へ怒鳴り込み、社長とママに土下座をさせたと後で聞きました。
さらに、
「うちの息子が働いているんだからサービスしなさいよ!」
と言ったそうです。
その一言で、僕は職場で居づらい存在になりました。
師匠が紹介してくださった大切な職場。
学びの場だったLIVEハウス。
その両方を失いました。
そしてJAZZスクールにも通いづらくなり、レッスン代の問題も重なって、自然と足が遠のいていきました。
また一つ、大切な居場所がなくなりました。
当時の僕は、母を責めることも、誰かに相談することもできませんでした。
ただ、「また失ってしまった。」
そんな気持ちだけが心に残っていました。
-続く-次回のお話↓
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