私の母方の祖母が、旅立った。
齢93年と11か月。
1週間後に迎えるはずだった誕生日は、私が生まれた日と同じ日だ。
以前から入退院を繰り返していた祖母が、今年の初めに様態が悪化し再度入院した。
昨日の朝、母から電話があり、
「もう危ないから合わせたい人を呼んでくれって、お医者様が言っていた。合ってきなさい」
と・・・・。
昨日は突然だったので、今日の午前中に家族と共にお見舞いに行く予定だった。
痴呆が悪化し、寝たきりになった祖母が危ない危ないと言われ、数年が過ぎた。
今年になってから私は、25年前に先に逝ってしまった祖父の夢を見た。
生前は私と姉をとても可愛がってくれていた祖父だが、夢に出てくることは滅多になかった。
「おじいちゃんの夢を見たよ。迎えに来たのかもしれないね・・・・・」
と、母に告げると、母も「そうかもしれないね」、と言った。
先生の話では、あと2~3日だろうということだったが、昨夜私はなかなか寝付けなかった。
ふいに涙がポロポロと溢れて止まらない。
主人に、「まだ亡くなったわけじゃないのに」 と、言われたが、
どうにもいえない不安にかられた。
寝てしまったら、寝ている間に祖母が旅立ってしまう気がしたのだ。
「落ち着かないなら薬飲んで寝たら?」
私を気遣って主人が言った。
私の病状は最近安定していたので、夜だけ飲んでいた薬も飲まない日もあったのだ。昨日は薬を飲んでいない、
だけど薬がないから不安なんじゃない。
心がざわざわして、明日病院へ行っても祖母に合えない気がしてならないのだ。
祖母と過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
同居はしていなかったが、歩いて10分もかからない距離に住んでいた祖母。
いつもニコニコしていて、いつも家事に忙しそうだった。
翌朝、母から祖母が亡くなったと知らせをうけた。
やはり、逝ってしまったのだ。
昨日の晩、祖母の魂が私の元へ来てくれたのかもしれない。
もう行くよ、と、伝えに来てくれていたのかもしれない。
祖母の知らせを聞いて、私は泣かなかった。
おじいちゃんが迎えに来てくれたから、きっとおばあちゃんも安心して旅立って行けたのだと思う。
私が突然の訃報に動揺しないよう、きっと事前に知らせてくれたに違いない。
心の準備は出来ていた。
けれど祖母の遺体と対面したら、悲しみに身体が支配されてしまうかもしれない。
そうしたら、また声が出なくなってしまうかもしれないという不安は拭いきれない。
だけどこれから先、私はいくつもの別れを経験しなければいけない。
その度に喋れなくなるわけにはいかないのだ。
強くならなくては。
悲しみが心を、
声を閉ざしてしまわぬように。
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私の母方の祖母が、旅立った。
齢93年と11か月。
1週間後に迎えるはずだった誕生日は、私が生まれた日と同じ日だ。
以前から入退院を繰り返していた祖母が、今年の初めに様態が悪化し再度入院した。
昨日の朝、母から電話があり、
「もう危ないから合わせたい人を呼んでくれって、お医者様が言っていた。合ってきなさい」
と・・・・。
昨日は突然だったので、今日の午前中に家族と共にお見舞いに行く予定だった。
痴呆が悪化し、寝たきりになった祖母が危ない危ないと言われ、数年が過ぎた。
今年になってから私は、25年前に先に逝ってしまった祖父の夢を見た。
生前は私と姉をとても可愛がってくれていた祖父だが、夢に出てくることは滅多になかった。
「おじいちゃんの夢を見たよ。迎えに来たのかもしれないね・・・・・」
と、母に告げると、母も「そうかもしれないね」、と言った。
先生の話では、あと2~3日だろうということだったが、昨夜私はなかなか寝付けなかった。
ふいに涙がポロポロと溢れて止まらない。
主人に、「まだ亡くなったわけじゃないのに」 と、言われたが、
どうにもいえない不安にかられた。
寝てしまったら、寝ている間に祖母が旅立ってしまう気がしたのだ。
「落ち着かないなら薬飲んで寝たら?」
私を気遣って主人が言った。
私の病状は最近安定していたので、夜だけ飲んでいた薬も飲まない日もあったのだ。昨日は薬を飲んでいない、
だけど薬がないから不安なんじゃない。
心がざわざわして、明日病院へ行っても祖母に合えない気がしてならないのだ。
祖母と過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
同居はしていなかったが、歩いて10分もかからない距離に住んでいた祖母。
いつもニコニコしていて、いつも家事に忙しそうだった。
翌朝、母から祖母が亡くなったと知らせをうけた。
やはり、逝ってしまったのだ。
昨日の晩、祖母の魂が私の元へ来てくれたのかもしれない。
もう行くよ、と、伝えに来てくれていたのかもしれない。
祖母の知らせを聞いて、私は泣かなかった。
おじいちゃんが迎えに来てくれたから、きっとおばあちゃんも安心して旅立って行けたのだと思う。
私が突然の訃報に動揺しないよう、きっと事前に知らせてくれたに違いない。
心の準備は出来ていた。
けれど祖母の遺体と対面したら、悲しみに身体が支配されてしまうかもしれない。
そうしたら、また声が出なくなってしまうかもしれないという不安は拭いきれない。
だけどこれから先、私はいくつもの別れを経験しなければいけない。
その度に喋れなくなるわけにはいかないのだ。
強くならなくては。
悲しみが心を、
声を閉ざしてしまわぬように。
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今年の3月に私が失声症を発症してから、9か月。
間もなく一年が終わろうとしている。
失声当初はすぐに治ると思っていたのに、なかなか声が出なかった。
今年の終わりには、私はどうなっているのだろうか?
と、よく考えたものだ。
最近の私はなかなか調子が良い。
とはいえ、先日も1週間ほど突然声が出なくなってしまった。
とある日曜日の夕方にふいっと出なくなって、翌日もその翌日も声が出なかった。
久々にメモ帳を持参して筆談だ。
声が出なくなると、周りがうるさい。
「どうしたの?」 「またでないの?」 「何の病気なの?」
そして大抵こう言う。
「原因はストレス?」
そう言われたり、あれこれ詮索されることが、ストレスだと言ってやりたい。
無神経な女性に、あまりにしつこく詮索されたので、
「病気のことはあまり聞かないで下さい。繰り返して、完治には時間がかかります」
と、メモ帳に書いた。
声の出ない病気の人に、どうしたどうしたと詮索して、あげくにこんな事をわざわざ書かせて一体何が楽しいのだろうか。
その女性はつまらなそうに、
「ああ、ごめん、ごめん」
と仏頂面で吐き捨てて、その場を去って行った。
それでも声は1週間後には殆ど戻っていたので、私にとっては
「出なくなっても、また出るようになる」
という自信につながった。
完治といえるにはまだほど遠いだろう。
けれど、回復している事は間違いない。
今年は病気もしたけれど、懐かしい人と再会したり、良いご縁があって色々な人と知り合うことが出来た良い一年だった。
来年は、もっと良くなる。
やりたかったこと、
出来なかったこと、
全部やるつもりだ。
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今年の3月に私が失声症を発症してから、9か月。
間もなく一年が終わろうとしている。
失声当初はすぐに治ると思っていたのに、なかなか声が出なかった。
今年の終わりには、私はどうなっているのだろうか?
と、よく考えたものだ。
最近の私はなかなか調子が良い。
とはいえ、先日も1週間ほど突然声が出なくなってしまった。
とある日曜日の夕方にふいっと出なくなって、翌日もその翌日も声が出なかった。
久々にメモ帳を持参して筆談だ。
声が出なくなると、周りがうるさい。
「どうしたの?」 「またでないの?」 「何の病気なの?」
そして大抵こう言う。
「原因はストレス?」
そう言われたり、あれこれ詮索されることが、ストレスだと言ってやりたい。
無神経な女性に、あまりにしつこく詮索されたので、
「病気のことはあまり聞かないで下さい。繰り返して、完治には時間がかかります」
と、メモ帳に書いた。
声の出ない病気の人に、どうしたどうしたと詮索して、あげくにこんな事をわざわざ書かせて一体何が楽しいのだろうか。
その女性はつまらなそうに、
「ああ、ごめん、ごめん」
と仏頂面で吐き捨てて、その場を去って行った。
それでも声は1週間後には殆ど戻っていたので、私にとっては
「出なくなっても、また出るようになる」
という自信につながった。
完治といえるにはまだほど遠いだろう。
けれど、回復している事は間違いない。
今年は病気もしたけれど、懐かしい人と再会したり、良いご縁があって色々な人と知り合うことが出来た良い一年だった。
来年は、もっと良くなる。
やりたかったこと、
出来なかったこと、
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約2か月も更新をおこたってしまいました。
11月の舞台は、公演の数日前に声の調子が悪くなり、このまま不調のまま本番をむかえるのだと覚悟した。
毎日毎日、少しでも良くなっていないかと祈ったが、調子は悪いまま前日のリハーサルを終えた。
悲しくて落ち込んで、「沢山練習しているのになぜ?」と、何度も思ったが、もう割り切って舞台を楽しもうと決めた。
歌えなくてもソロがあるわけじゃないから口をパクパクさせていればいいし、笑顔で踊ればいいんだ!
いよいよ、当日を迎えました。
舞台独特の雰囲気が懐かしい。
真っ黒の暗幕に照明の光があたって、小さな埃がチラチラと光る。
あぁ・・・・・・・・。
私は舞台に戻ってきたんだ・・・・・・。
結婚と同時に役者の仕事を辞め、声を失い、なぜだかまた今ここに立っている。
不思議な気持ちだった。
周りのみんなは緊張している様だったが、私は全く緊張はなかった。
自然と背筋が伸びる。
私は2000人も収容できる客席のある舞台の光の中へ歩き出した。
音楽がかかり、歌い始める。
最初は出る。
だけど、サビの少し前の部分から、いつも出なくなる。
それでもいい。
自分の声が、自分の耳に届く。
あれ?
声が出ている・・・・・。
いつも出なかったところも、ちゃんと出ている。
なんて不思議なんだろう?!
奇跡だ・・・・・・・
神様は、とても悪戯だ。
私を失望させたり、喜ばせたり。
頑張って沢山練習したから、ご褒美をくれたのかもしれない。
なんでもいいや。
だって私は歌ってる。
自分の声で!!
無事に舞台を終えると、心地よい疲労感と脱力感に襲われた。
終わった・・・・・・・・・。
もうこれが人生で最後の舞台かもしれない。
でもちゃんとやれた。
辛い時もちゃんと病気と向き合って、声の出ない自分を受け入れて、やりとげられた。
頑張った自分を褒めてあげよう。
それからしばらくの間、私はとても快調に声が出る日々を送る事が出来た。
もう完全に治ったんじゃないかと錯覚させるほどだった。
だけど、病気はまだ治っていなかった。
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約2か月も更新をおこたってしまいました。
11月の舞台は、公演の数日前に声の調子が悪くなり、このまま不調のまま本番をむかえるのだと覚悟した。
毎日毎日、少しでも良くなっていないかと祈ったが、調子は悪いまま前日のリハーサルを終えた。
悲しくて落ち込んで、「沢山練習しているのになぜ?」と、何度も思ったが、もう割り切って舞台を楽しもうと決めた。
歌えなくてもソロがあるわけじゃないから口をパクパクさせていればいいし、笑顔で踊ればいいんだ!
いよいよ、当日を迎えました。
舞台独特の雰囲気が懐かしい。
真っ黒の暗幕に照明の光があたって、小さな埃がチラチラと光る。
あぁ・・・・・・・・。
私は舞台に戻ってきたんだ・・・・・・。
結婚と同時に役者の仕事を辞め、声を失い、なぜだかまた今ここに立っている。
不思議な気持ちだった。
周りのみんなは緊張している様だったが、私は全く緊張はなかった。
自然と背筋が伸びる。
私は2000人も収容できる客席のある舞台の光の中へ歩き出した。
音楽がかかり、歌い始める。
最初は出る。
だけど、サビの少し前の部分から、いつも出なくなる。
それでもいい。
自分の声が、自分の耳に届く。
あれ?
声が出ている・・・・・。
いつも出なかったところも、ちゃんと出ている。
なんて不思議なんだろう?!
奇跡だ・・・・・・・
神様は、とても悪戯だ。
私を失望させたり、喜ばせたり。
頑張って沢山練習したから、ご褒美をくれたのかもしれない。
なんでもいいや。
だって私は歌ってる。
自分の声で!!
無事に舞台を終えると、心地よい疲労感と脱力感に襲われた。
終わった・・・・・・・・・。
もうこれが人生で最後の舞台かもしれない。
でもちゃんとやれた。
辛い時もちゃんと病気と向き合って、声の出ない自分を受け入れて、やりとげられた。
頑張った自分を褒めてあげよう。
それからしばらくの間、私はとても快調に声が出る日々を送る事が出来た。
もう完全に治ったんじゃないかと錯覚させるほどだった。
だけど、病気はまだ治っていなかった。
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診察の日に、先日のフラッシュバックについて医師に相談した。
「ある程度思い出しそうなものや場所は回避してきましたが、今回の様に突然思い出してしまうと自分ではどうにもならないんですが・・・・・」
そう告げると、
「回避出来るものは回避して、今回の様に予期せずパニックに陥った時に飲むと気持ちが落ち着く薬を何錠かだしましょうか。速攻性があるので、気持ちはすぐに落ち着いてきますよ」
と、医師は言った。
その後で、
「暴露療法というのもあるのですが」
「暴露療法?」
初めて聞く言葉だった。
「ショック療法みたいなものなんですが、あえて嫌な物と向き合ってその時間を計るんです。それを毎日記録して、自分がどのくらい耐えられるようになったかというのを知るんです。もちろん、それをする場合にはお薬を変えたり準備をしないといけませんから、急に始めたりはしないで下さいね。」
嫌なものをあえて見る・・・・・・・。
想像しただけで、背筋が冷たくなった。
「・・・・・・私には、まだその勇気はありません」
「そうですね。気が進まないなら無理にしないほうがいいでしょう。では、気持ちを落ち着かせるお薬だけ何錠か出しておきましょう」
「はい」
いつも処方している薬に加え、いざという時の切り札的な薬。
私は少し安心した。
もし先日のような事に遭遇したとしても、薬を携帯していれば・・・・。
先日の一件から、私は少々過敏になっていた。
思い出すのが怖いのだ。
症状が改善されてきたので、朝と晩に2回飲んでいた薬も夜1回に減らしていた。
だけど今日は朝から薬を飲んだ。
とにかく漠然と不安なのだ。
不意におこるフラッシュバックに加えて、知り合いに合えば、
「声、随分出る様になったね!」
「で、原因は何だったの?ストレス??」
待ってましたとばかりに食いついてくる。
皆で口を揃えて、ストレス、ストレスと言ってくる。
そうだ、といえば好奇心は満たされるのだろうか?
声が出なくなる=ストレスという知識しかないから、軽々しく面と向かって言い放つ。
もし私がストレスで失声に陥ったとしていたら、そういう言動こそがストレスになるとは想像出来ないのだろうか。
人には触れて欲しくない部分だってある。
どうしてそうも無神経になれるのだろうか?
「原因は・・・・」
と、聞かれる度に、私は一瞬当時の事を思い出す。
だから、思い出してしまいそうで
また声が出なくなってしまうんじゃないかと
怖くなる・・・・・・・。
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診察の日に、先日のフラッシュバックについて医師に相談した。
「ある程度思い出しそうなものや場所は回避してきましたが、今回の様に突然思い出してしまうと自分ではどうにもならないんですが・・・・・」
そう告げると、
「回避出来るものは回避して、今回の様に予期せずパニックに陥った時に飲むと気持ちが落ち着く薬を何錠かだしましょうか。速攻性があるので、気持ちはすぐに落ち着いてきますよ」
と、医師は言った。
その後で、
「暴露療法というのもあるのですが」
「暴露療法?」
初めて聞く言葉だった。
「ショック療法みたいなものなんですが、あえて嫌な物と向き合ってその時間を計るんです。それを毎日記録して、自分がどのくらい耐えられるようになったかというのを知るんです。もちろん、それをする場合にはお薬を変えたり準備をしないといけませんから、急に始めたりはしないで下さいね。」
嫌なものをあえて見る・・・・・・・。
想像しただけで、背筋が冷たくなった。
「・・・・・・私には、まだその勇気はありません」
「そうですね。気が進まないなら無理にしないほうがいいでしょう。では、気持ちを落ち着かせるお薬だけ何錠か出しておきましょう」
「はい」
いつも処方している薬に加え、いざという時の切り札的な薬。
私は少し安心した。
もし先日のような事に遭遇したとしても、薬を携帯していれば・・・・。
先日の一件から、私は少々過敏になっていた。
思い出すのが怖いのだ。
症状が改善されてきたので、朝と晩に2回飲んでいた薬も夜1回に減らしていた。
だけど今日は朝から薬を飲んだ。
とにかく漠然と不安なのだ。
不意におこるフラッシュバックに加えて、知り合いに合えば、
「声、随分出る様になったね!」
「で、原因は何だったの?ストレス??」
待ってましたとばかりに食いついてくる。
皆で口を揃えて、ストレス、ストレスと言ってくる。
そうだ、といえば好奇心は満たされるのだろうか?
声が出なくなる=ストレスという知識しかないから、軽々しく面と向かって言い放つ。
もし私がストレスで失声に陥ったとしていたら、そういう言動こそがストレスになるとは想像出来ないのだろうか。
人には触れて欲しくない部分だってある。
どうしてそうも無神経になれるのだろうか?
「原因は・・・・」
と、聞かれる度に、私は一瞬当時の事を思い出す。
だから、思い出してしまいそうで
また声が出なくなってしまうんじゃないかと
怖くなる・・・・・・・。
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歌のレッスンを始めてから、かなり順調に回復していた私の声。
かなり安定してきたので、自信もついてきた。
私はもう戻らない、と心のどこかで勝手に過信していた。
だけど現実はそう甘くはなかった。
レッスンの最中、ダンススタジオのスタッフが舞台に使う小道具の作成をしていた。
器用に色々な小物を次々とリアルに作り上げていく。最初は感心して見ていた。
軍手をしたスタッフのが電動のドリルのようなもので次々にネジを材木に打ち込んでゆく。
手元に気をつけて・・・・・
そう心の中で呟いた。
私の心臓がドクンと音をたてた。
私の目の前がぐるぐると回りだす。
手・・・・・
軍手・・・・・
この二つのキーワードが私を過去に呼び戻した。
あの時、軍手の中で見つかった父の親指、血に染まったタオル・・・・・・・・・・・・・
静かに私は混乱した。
ダンスの先生が私の異変に気づき声をかけてくれた。
「大丈夫?」
なんとか「・・・はい」と答えた。
少しして、今度は先生が私の元に来て腕をつかんだ。
「顔が真っ青よ、どうしたの?少しこっちに来て休みなさい」
私は素直に先生の指示に従った。
「何かあった?」
「軍手が・・・・・ちょっと・・・・」
絞るようにそれだけ伝えると、先生は状況を察したのか、
「わかった、いいよ、大丈夫」
と言って、作業中のスタッフに別の場所でやってもらうように頼んでくれた。
先生は温かいココアを手に私の元に戻り、
「温かい物でも飲んで落ち着きなさい」
と、私の手にココアを握らせた。
私のせいでレッスンを中断させてしまって本当に申し訳ないという気持ちと、ぐるぐると頭をめぐるフラッシュバックに呼吸が苦しくなる。吸っても吸っても、酸素が身体に浸透していかない気がした。
ダンスの先生がレッスンに戻ると、心配そうに見ていた歌の先生がそばに来てくれた。
何も言わずに私の背中をさすってくれた。背中に優しくて温かい体温、両手には温かいココア。
胸がいっぱいになった。
怖い気持ちと先生方の優しい言動に、私の眼からは涙があふれた。
沢山の子供たちが練習しているのに、私はどうしてこんな所で涙を流しているのだろう?
きっと皆びっくりしているね。
ごめんね。
だけど、私の身体は私の意志でどうにもならず涙が次から次へと流れた。
すみませんでした。
ありがとうございました。
そう伝えたいけれど、今日はもう言葉にならない。
あんなに出ていた私の声は、また引っ込んでしまった。
また、戻るの?
せっかく歌えるようになったのに?
後半のレッスンはずっと座って皆の姿を眺めている事しかできなかった。
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歌のレッスンを始めてから、かなり順調に回復していた私の声。
かなり安定してきたので、自信もついてきた。
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だけど現実はそう甘くはなかった。
レッスンの最中、ダンススタジオのスタッフが舞台に使う小道具の作成をしていた。
器用に色々な小物を次々とリアルに作り上げていく。最初は感心して見ていた。
軍手をしたスタッフのが電動のドリルのようなもので次々にネジを材木に打ち込んでゆく。
手元に気をつけて・・・・・
そう心の中で呟いた。
私の心臓がドクンと音をたてた。
私の目の前がぐるぐると回りだす。
手・・・・・
軍手・・・・・
この二つのキーワードが私を過去に呼び戻した。
あの時、軍手の中で見つかった父の親指、血に染まったタオル・・・・・・・・・・・・・
静かに私は混乱した。
ダンスの先生が私の異変に気づき声をかけてくれた。
「大丈夫?」
なんとか「・・・はい」と答えた。
少しして、今度は先生が私の元に来て腕をつかんだ。
「顔が真っ青よ、どうしたの?少しこっちに来て休みなさい」
私は素直に先生の指示に従った。
「何かあった?」
「軍手が・・・・・ちょっと・・・・」
絞るようにそれだけ伝えると、先生は状況を察したのか、
「わかった、いいよ、大丈夫」
と言って、作業中のスタッフに別の場所でやってもらうように頼んでくれた。
先生は温かいココアを手に私の元に戻り、
「温かい物でも飲んで落ち着きなさい」
と、私の手にココアを握らせた。
私のせいでレッスンを中断させてしまって本当に申し訳ないという気持ちと、ぐるぐると頭をめぐるフラッシュバックに呼吸が苦しくなる。吸っても吸っても、酸素が身体に浸透していかない気がした。
ダンスの先生がレッスンに戻ると、心配そうに見ていた歌の先生がそばに来てくれた。
何も言わずに私の背中をさすってくれた。背中に優しくて温かい体温、両手には温かいココア。
胸がいっぱいになった。
怖い気持ちと先生方の優しい言動に、私の眼からは涙があふれた。
沢山の子供たちが練習しているのに、私はどうしてこんな所で涙を流しているのだろう?
きっと皆びっくりしているね。
ごめんね。
だけど、私の身体は私の意志でどうにもならず涙が次から次へと流れた。
すみませんでした。
ありがとうございました。
そう伝えたいけれど、今日はもう言葉にならない。
あんなに出ていた私の声は、また引っ込んでしまった。
また、戻るの?
せっかく歌えるようになったのに?
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長女が歌を教わっている歌の先生から、ヴォイストレーングをしてもらえることになった。
週に何回とか、月に何回という取り決めはなく、見られる時にみてもらうといった感じだが、この所週に1度程度みてもらっている。その代り、費用も殆どかかっていない。先生のご厚意で見てもらっている。
今日もトレーニングに行ってきたのだが、先生の古くからの友人(女性)が来て居た。
先生とは実に20年ぶりの再会だそうだ。
こちらの女性は先生と同様に歌を歌っていたそうなのだが、やはり一時期失声状態に陥ったことがあったと言う。
シャンソンを歌っていた彼女は、森友嵐士さんと同様に歌を歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は出来たという。
そんな状態が数年続いたが、とあるヴォイストレーニングの先生との出会いがあり、そこから徐々に声が出るようになり今は歌えるようになったそうだ。
彼女は数年に渡り歌が歌えなくなり、もう二度と歌えないと思ったそうだ。
それの歳月に比べれば、私は数か月なのでマシだ。
やはり声にこだわりや思い入れを持っている人ほどなりやすいというのは本当の様だ。
今日は先生の指導の元、トレーニングを行い、物凄く久しぶりに「芯」のある「声」が出た。
それは一瞬でまだ継続しないけれど、
あ・・・・・、
私の声・・・・・・・
久しぶりに聞いた・・・・・・・・。
今までも出てはいたけれど、なんか違う。
くぐもった、芯のない声。
喉元で詰まって、引っかかっていた。
声はどうやって出すのか、どうやって話をしていたのかすら、数か月前はわからなくなっていた。
だけど、またこうやって自分の声を聴くことができた。
取り戻さなくては。
私の声。
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長女が歌を教わっている歌の先生から、ヴォイストレーングをしてもらえることになった。
週に何回とか、月に何回という取り決めはなく、見られる時にみてもらうといった感じだが、この所週に1度程度みてもらっている。その代り、費用も殆どかかっていない。先生のご厚意で見てもらっている。
今日もトレーニングに行ってきたのだが、先生の古くからの友人(女性)が来て居た。
先生とは実に20年ぶりの再会だそうだ。
こちらの女性は先生と同様に歌を歌っていたそうなのだが、やはり一時期失声状態に陥ったことがあったと言う。
シャンソンを歌っていた彼女は、森友嵐士さんと同様に歌を歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は出来たという。
そんな状態が数年続いたが、とあるヴォイストレーニングの先生との出会いがあり、そこから徐々に声が出るようになり今は歌えるようになったそうだ。
彼女は数年に渡り歌が歌えなくなり、もう二度と歌えないと思ったそうだ。
それの歳月に比べれば、私は数か月なのでマシだ。
やはり声にこだわりや思い入れを持っている人ほどなりやすいというのは本当の様だ。
今日は先生の指導の元、トレーニングを行い、物凄く久しぶりに「芯」のある「声」が出た。
それは一瞬でまだ継続しないけれど、
あ・・・・・、
私の声・・・・・・・
久しぶりに聞いた・・・・・・・・。
今までも出てはいたけれど、なんか違う。
くぐもった、芯のない声。
喉元で詰まって、引っかかっていた。
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だけど、またこうやって自分の声を聴くことができた。
取り戻さなくては。
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元T-BOLANのヴォーカル、森友嵐士さんがテレビに出演していた。
人気バンドのヴォーカルだった彼はストレス等により心因性発声障害となり、14年間もの間歌が歌えなかったそうだ。
彼の場合は歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は普通にできたという事だった。
彼は1年かけて、坂本九さんの「上をむいて歩こう」を練習したという。
歌の歌えない自分に存在価値が見いだせなかったと語っていた。
私の場合は歌う方が声が出やすく、日常会話がダメだったから全く逆だ。
番組を観ながら、同じ病気でも色々なタイプがあるんだなぁと思う。
彼の場合は歌に対するプレッシャーが大きかったから、歌が歌えなくなったのだろう。
人それぞれに思い入れや感じる所が違うから、同じ病気でも症状も異なるのかもしれない。
私は今、歌をリハビリに使っているが、以前の様に声が出ない自分をもどかしく思う事が多々ある。
それでも全く歌も歌えず、話も出来なかった頃に比べたらすごい進歩なのだけど、昔の自分のイメージを追ってしまうからどうしても焦りや不安が生じてしまう。
私の姉は小さい頃からずっとピアノを習っていた。社会人になっても習い続け、母になった今でも趣味で時々弾いている。
姉は学生から社会人になった時、1年間ピアノを止めた。
会社に慣れ再びピアノを始めた時に、以前の様に指が動かず猛烈なストレスを感じたという。同じ様な人は沢山いるようで、大半の人がそのストレスに負けそのまま弾くのを止めてしまうそうだ。
1日弾かないと自分で違いがわかり、
3日弾かないと先生に違いがわかり、
1週間弾かないと観客に違いがわかる、と言う。
育児で何年もブランクを空けてしまった姉は、もう本格的に弾くことはないと言う。
弾かないというより、もう弾けないというのだ。
空けたブランクを埋めるには、同じ位の歳月、はたまたそれ以上の歳月を必要とするらしい。
私も歌の先生に同じことを言われた。
声が出始めると途端に欲が出て、もっと出したい。もっと歌いたいという気持ちが強くなる。
出ない部分があると不安になる。
例えば1~3小節目まで調子よく歌っていても4小節目はプツリと出なくなったりするのだ。
そんな私に先生は言う。
「焦らないよ、今日はすごく声が出ていたよ。出ない部分は気にしない。悪くなった期間と同じくらい、それ以上かけて治すつもりでね」
森友さんは今、歌を歌っているけれど、自分のイメージ通りに出せているのだろうか?
私の様に、「出るけどイメージと違う」、「以前の自分と違う」と感じているのだろうか?
私と森友さんではかかったストレスやプレッシャーは比較にならないので、同じ様に考えるのは失礼だと思うが、同じ声を失った苦しみを知る者として考えてしまう。
T-BOLANは大好きだったので、今でも当時買ったCDを大切に持っている。
森友さんがもしまだイメージ通りに声を出せずにいるのなら、良くなりますようにと心から祈りたい。
辛い現実に向き合い乗り越えた彼の歌声は、以前にも増して素晴らしく感動的だった。
私も頑張ろう、と励まされた。
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元T-BOLANのヴォーカル、森友嵐士さんがテレビに出演していた。
人気バンドのヴォーカルだった彼はストレス等により心因性発声障害となり、14年間もの間歌が歌えなかったそうだ。
彼の場合は歌おうとすると声が出なくなり、日常会話は普通にできたという事だった。
彼は1年かけて、坂本九さんの「上をむいて歩こう」を練習したという。
歌の歌えない自分に存在価値が見いだせなかったと語っていた。
私の場合は歌う方が声が出やすく、日常会話がダメだったから全く逆だ。
番組を観ながら、同じ病気でも色々なタイプがあるんだなぁと思う。
彼の場合は歌に対するプレッシャーが大きかったから、歌が歌えなくなったのだろう。
人それぞれに思い入れや感じる所が違うから、同じ病気でも症状も異なるのかもしれない。
私は今、歌をリハビリに使っているが、以前の様に声が出ない自分をもどかしく思う事が多々ある。
それでも全く歌も歌えず、話も出来なかった頃に比べたらすごい進歩なのだけど、昔の自分のイメージを追ってしまうからどうしても焦りや不安が生じてしまう。
私の姉は小さい頃からずっとピアノを習っていた。社会人になっても習い続け、母になった今でも趣味で時々弾いている。
姉は学生から社会人になった時、1年間ピアノを止めた。
会社に慣れ再びピアノを始めた時に、以前の様に指が動かず猛烈なストレスを感じたという。同じ様な人は沢山いるようで、大半の人がそのストレスに負けそのまま弾くのを止めてしまうそうだ。
1日弾かないと自分で違いがわかり、
3日弾かないと先生に違いがわかり、
1週間弾かないと観客に違いがわかる、と言う。
育児で何年もブランクを空けてしまった姉は、もう本格的に弾くことはないと言う。
弾かないというより、もう弾けないというのだ。
空けたブランクを埋めるには、同じ位の歳月、はたまたそれ以上の歳月を必要とするらしい。
私も歌の先生に同じことを言われた。
声が出始めると途端に欲が出て、もっと出したい。もっと歌いたいという気持ちが強くなる。
出ない部分があると不安になる。
例えば1~3小節目まで調子よく歌っていても4小節目はプツリと出なくなったりするのだ。
そんな私に先生は言う。
「焦らないよ、今日はすごく声が出ていたよ。出ない部分は気にしない。悪くなった期間と同じくらい、それ以上かけて治すつもりでね」
森友さんは今、歌を歌っているけれど、自分のイメージ通りに出せているのだろうか?
私の様に、「出るけどイメージと違う」、「以前の自分と違う」と感じているのだろうか?
私と森友さんではかかったストレスやプレッシャーは比較にならないので、同じ様に考えるのは失礼だと思うが、同じ声を失った苦しみを知る者として考えてしまう。
T-BOLANは大好きだったので、今でも当時買ったCDを大切に持っている。
森友さんがもしまだイメージ通りに声を出せずにいるのなら、良くなりますようにと心から祈りたい。
辛い現実に向き合い乗り越えた彼の歌声は、以前にも増して素晴らしく感動的だった。
私も頑張ろう、と励まされた。
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長女が今年の春から通い始めたダンス・スタジオは、とても良い所。
声が出るようになって、先生から
「11月のミュージカルでお母さんも出ない?」
と、誘われた。
舞台や歌が好きな私は二つ返事で
「はい」
と答えた。
ちゃんと歌えるかなんてわからないけれど、私がやるのは歌と踊りだけ。
セリフはないし、ソロもないから大丈夫だと思う。
苦手な電話も出るように心がけ、無謀な様なミュージカルにも出ることにした。
逃げてるだけじゃなくて、ダメでもぶつかって行こう。
やって出来なくても、やらないで出来ないよりきっといい。
でも始めたら絶対に凹んじゃいけない。
声が出なくても落ち込んじゃいけないと、自分に言いきかせた。
ミュージカルなので、歌の先生とも話する機会が増えた。
長女はダンスと歌を合わせて習っているので先生とは面識はあったが、何せ話せなかったので会話したことはなかった。
歌の先生が私に、
「今度声をみてあげるね。どこが出なくて、どこが出るのか」
と、言ってくれた。
「不思議なんですが、歌はわりと声が出るんです。話すのが出しずらくて・・・・・」
と私が言うと、
「そうなのよ、それが普通なのよ。声が出なくなった人はそれが普通なの。
だから、出やすい音を探してそこに合わせて行くのよ。そういうトレーニングをすればいいの」
そそそ、そうなのかぁ~!!!
知らなかったよ。
声が初めて出たのも歌で、その後も暫く会話は出来なくても歌は歌えた。
どうして歌は出るのに、会話はできないのだろう??
と不思議でたまらなかったんだ。
病院の先生も、そんな事は知らないから教えてくれなかった。
周りでこんな病気にかかった人も居ないし・・・・・。
やはり専門家は違うね・・・・・・・。
「歌うように、高い音のが話しやすいと思うわよ。鼻腔を使って話していくとだんだん良くなるわよ」
だって。
すごいっっ!
すごいっっっ!!!
やはり、このダンススタジオにあの日に来たのは、運命なんじゃないかと思う。
導かれたんじゃないだろうか?
ここへ行きなさいって。
ここへ行けば、失ったものを取り戻せるって。
失った声、
もう二度と自分が立つことはないと思っていた舞台。
私はここでダンスを習う子供以上に、色々なものを得ているのかもしれない。
舞台に立つと思うと、ワクワクしてゾクゾクする。
やはり私は舞台が好きなんだなぁと、当たり前だった事を思い出した。
このスタジオの先生の人柄に惚れていたが、やはりそういう人の元には良い人が集まって来るのだろう。
歌の先生もとっても良い方で、温かいオーラが沢山出ている気がする。(見えないけどね)
先が見えない暗闇の中で、ぽぅっとここだけ明るくて、気が付けば自分の進む先も照らしてくれる
そんな感覚。
どうしたら前みたく話せるの??
と、ずっと思っていたけれど、なんだか大丈夫な気がしてきた。
「でも焦っちゃだめよ、ゆっくりよ」
歌の先生が言う。
今まで何度となく周りから言われてきた言葉。
前は気休めに聞こえていた言葉。
今は素直に受け止められる。
先生が言うと、魔法の言葉のように、私の中にするりと入っていく。
勇気を出して良かった。
私の道は続いている。
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長女が今年の春から通い始めたダンス・スタジオは、とても良い所。
声が出るようになって、先生から
「11月のミュージカルでお母さんも出ない?」
と、誘われた。
舞台や歌が好きな私は二つ返事で
「はい」
と答えた。
ちゃんと歌えるかなんてわからないけれど、私がやるのは歌と踊りだけ。
セリフはないし、ソロもないから大丈夫だと思う。
苦手な電話も出るように心がけ、無謀な様なミュージカルにも出ることにした。
逃げてるだけじゃなくて、ダメでもぶつかって行こう。
やって出来なくても、やらないで出来ないよりきっといい。
でも始めたら絶対に凹んじゃいけない。
声が出なくても落ち込んじゃいけないと、自分に言いきかせた。
ミュージカルなので、歌の先生とも話する機会が増えた。
長女はダンスと歌を合わせて習っているので先生とは面識はあったが、何せ話せなかったので会話したことはなかった。
歌の先生が私に、
「今度声をみてあげるね。どこが出なくて、どこが出るのか」
と、言ってくれた。
「不思議なんですが、歌はわりと声が出るんです。話すのが出しずらくて・・・・・」
と私が言うと、
「そうなのよ、それが普通なのよ。声が出なくなった人はそれが普通なの。
だから、出やすい音を探してそこに合わせて行くのよ。そういうトレーニングをすればいいの」
そそそ、そうなのかぁ~!!!
知らなかったよ。
声が初めて出たのも歌で、その後も暫く会話は出来なくても歌は歌えた。
どうして歌は出るのに、会話はできないのだろう??
と不思議でたまらなかったんだ。
病院の先生も、そんな事は知らないから教えてくれなかった。
周りでこんな病気にかかった人も居ないし・・・・・。
やはり専門家は違うね・・・・・・・。
「歌うように、高い音のが話しやすいと思うわよ。鼻腔を使って話していくとだんだん良くなるわよ」
だって。
すごいっっ!
すごいっっっ!!!
やはり、このダンススタジオにあの日に来たのは、運命なんじゃないかと思う。
導かれたんじゃないだろうか?
ここへ行きなさいって。
ここへ行けば、失ったものを取り戻せるって。
失った声、
もう二度と自分が立つことはないと思っていた舞台。
私はここでダンスを習う子供以上に、色々なものを得ているのかもしれない。
舞台に立つと思うと、ワクワクしてゾクゾクする。
やはり私は舞台が好きなんだなぁと、当たり前だった事を思い出した。
このスタジオの先生の人柄に惚れていたが、やはりそういう人の元には良い人が集まって来るのだろう。
歌の先生もとっても良い方で、温かいオーラが沢山出ている気がする。(見えないけどね)
先が見えない暗闇の中で、ぽぅっとここだけ明るくて、気が付けば自分の進む先も照らしてくれる
そんな感覚。
どうしたら前みたく話せるの??
と、ずっと思っていたけれど、なんだか大丈夫な気がしてきた。
「でも焦っちゃだめよ、ゆっくりよ」
歌の先生が言う。
今まで何度となく周りから言われてきた言葉。
前は気休めに聞こえていた言葉。
今は素直に受け止められる。
先生が言うと、魔法の言葉のように、私の中にするりと入っていく。
勇気を出して良かった。
私の道は続いている。
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通院をし、カウンセリングにも通い、声は少しずつ出るようになっていったけれど、どうしても出ない音や音域がある。
以前は出ていた音域、高音と低音の中間の音が上手く出ない。だから歌も上手く歌えない。
自分の声は壊れた楽器の様だなと思う。
意図しない音が出たり、クリアに出なかったり、動かしていなかったので舌も上手く回らない。
普通の人からしたら恐ろしく滑舌が悪いというまでではないかもしれないが、以前の仕事柄クリアに発声し歯切れよく喋るということが身体に染みついている。だからこそ、ろれつの回らない自分の声を聴くのが辛くもどかしい。
私はどこへ行ってしまったのだろう?
と、時々思う。
声が戻った様に、いつかは元の自分に戻れるのだろうか?
どの音も同じくらいの音量で安定した声を出せるようになるのだろうか?
カウンセリングはもう話すことがない。
「どんなことでもいいので、どうぞ」
と、言われても、特別何が起きたわけでもなければ酷く落ち込むこともない。
声は出るが綺麗に出ない状態で、停滞している時期が長く続いているだけだった。
症例が少ないせいか、カウンセラーも解決に導くような答えも持ち合わせていないし、聞きたい答えも帰っては来ない。
意味があるのだろうか?
時間とお金を使って、ここに通う意味・・・・・・。
聞いてもらうだけで何が変わるとも思えない。
医師から処方される薬は昼間は飲んでいない。夜、眠る前にだけ飲むことにした。
昼間に不安を感じる事はないし、日中眠気に襲われるのは厳しいからだ。
まだ日中に薬を飲んでいた時に怖い体験をした。
ソファーでウトウトと昼寝をしていたら、目が覚めた。
いや、初めから目は覚めていたのかもしれない。脳か身体か、どちらかが寝ていてどちらかは起きているような不思議な感覚。
耳のすぐそばでザワザワと沢山の人が話す声が聞こえてきた。
自宅のリビングに居るのに、まるで渋谷や新宿の雑踏の中に居るような喧噪。
私の眼にはいつもの天井と、いつものリビングが映っているのに。
首をぶんぶんと振ってみた。
だけど声は止まない。
その中で一人の男性の声だけがやけに鮮明に届いた。
私に何か言っている。
「マドカラ トビオリロ・・・・・・」
!!!!?
私は横たわっていたソファーから転げ降り、床に身体を預けた。
まだ声が聞こえる。
「ハヤク ソコノマドカラ トビオリロ」
身体が硬直して起き上がる事は出来ないので、必死に声を振り払おうとした。
金縛りとも違う、夢でもなく・・・・これは・・・・・白昼夢?
私はついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか?
死にたいなんて、思っていないのに、こんな声が聞こえる私は潜在的に自殺願望でもあるのだろうか?
それとも心霊現象?
この一件を医師に話してみた。
すると医師は思いもよらない答えを返した。
「それは薬の悪戯かもしれませんね」
「薬の悪戯?幻聴が聞こえたりするんですか?」
覚せい剤でもないのに・・・?
「こういった類の薬には少なからず副作用があって、それは出る人と出ない人がいるのだけど、一度だけなら今の薬を続けていきましょう。何度も繰り返すようなら考えなくてはいけないけれど、今飲んでいる薬が一番弱い薬だから、それ以上弱い薬っていうのはないんですよ」
「・・・・・・はぁ」
とりあえず、頭がおかしくなったわけでも心霊現象でもなかったことに安堵した。
夜はまだ時々不安になる。
瞼を閉じると怖い映像が映し出され恐ろしくてたまらなくなったりするので、薬はまだ必要かもしれない。
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通院をし、カウンセリングにも通い、声は少しずつ出るようになっていったけれど、どうしても出ない音や音域がある。
以前は出ていた音域、高音と低音の中間の音が上手く出ない。だから歌も上手く歌えない。
自分の声は壊れた楽器の様だなと思う。
意図しない音が出たり、クリアに出なかったり、動かしていなかったので舌も上手く回らない。
普通の人からしたら恐ろしく滑舌が悪いというまでではないかもしれないが、以前の仕事柄クリアに発声し歯切れよく喋るということが身体に染みついている。だからこそ、ろれつの回らない自分の声を聴くのが辛くもどかしい。
私はどこへ行ってしまったのだろう?
と、時々思う。
声が戻った様に、いつかは元の自分に戻れるのだろうか?
どの音も同じくらいの音量で安定した声を出せるようになるのだろうか?
カウンセリングはもう話すことがない。
「どんなことでもいいので、どうぞ」
と、言われても、特別何が起きたわけでもなければ酷く落ち込むこともない。
声は出るが綺麗に出ない状態で、停滞している時期が長く続いているだけだった。
症例が少ないせいか、カウンセラーも解決に導くような答えも持ち合わせていないし、聞きたい答えも帰っては来ない。
意味があるのだろうか?
時間とお金を使って、ここに通う意味・・・・・・。
聞いてもらうだけで何が変わるとも思えない。
医師から処方される薬は昼間は飲んでいない。夜、眠る前にだけ飲むことにした。
昼間に不安を感じる事はないし、日中眠気に襲われるのは厳しいからだ。
まだ日中に薬を飲んでいた時に怖い体験をした。
ソファーでウトウトと昼寝をしていたら、目が覚めた。
いや、初めから目は覚めていたのかもしれない。脳か身体か、どちらかが寝ていてどちらかは起きているような不思議な感覚。
耳のすぐそばでザワザワと沢山の人が話す声が聞こえてきた。
自宅のリビングに居るのに、まるで渋谷や新宿の雑踏の中に居るような喧噪。
私の眼にはいつもの天井と、いつものリビングが映っているのに。
首をぶんぶんと振ってみた。
だけど声は止まない。
その中で一人の男性の声だけがやけに鮮明に届いた。
私に何か言っている。
「マドカラ トビオリロ・・・・・・」
!!!!?
私は横たわっていたソファーから転げ降り、床に身体を預けた。
まだ声が聞こえる。
「ハヤク ソコノマドカラ トビオリロ」
身体が硬直して起き上がる事は出来ないので、必死に声を振り払おうとした。
金縛りとも違う、夢でもなく・・・・これは・・・・・白昼夢?
私はついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか?
死にたいなんて、思っていないのに、こんな声が聞こえる私は潜在的に自殺願望でもあるのだろうか?
それとも心霊現象?
この一件を医師に話してみた。
すると医師は思いもよらない答えを返した。
「それは薬の悪戯かもしれませんね」
「薬の悪戯?幻聴が聞こえたりするんですか?」
覚せい剤でもないのに・・・?
「こういった類の薬には少なからず副作用があって、それは出る人と出ない人がいるのだけど、一度だけなら今の薬を続けていきましょう。何度も繰り返すようなら考えなくてはいけないけれど、今飲んでいる薬が一番弱い薬だから、それ以上弱い薬っていうのはないんですよ」
「・・・・・・はぁ」
とりあえず、頭がおかしくなったわけでも心霊現象でもなかったことに安堵した。
夜はまだ時々不安になる。
瞼を閉じると怖い映像が映し出され恐ろしくてたまらなくなったりするので、薬はまだ必要かもしれない。
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食欲はあまりなかったが、元気になるためには食べなくてはと思い、少しずつ食事の量を増やすようにした。
気持ちが落ち込んでいる事も食欲のない原因ではあったが、味覚が鈍くなっていてあまり食べ物の味がわからないというのも食欲がわかない大きな要因のひとつだった。
何を食べても美味しくない、というかよくわからない。
味覚が鈍くなっていると気が付いたのは料理の味見をした時だった。
私は基本的に濃い味が苦手なので割と味覚は敏感な方なのだけれど、料理をお玉ですくって味見をしても濃いも薄いもわからいのだ。何度試してみても、やはりわからない。
私はあきらめて、素直に主人に打ち明けた。
「味覚がおかしくて味がわからないから、暫く味が多少おかしくても我慢して」
味見をしなくても、軽量スプーンやカップを使えば大きく失敗することはないし、大体の感覚があるので大きく味が変わるということはないだろう。
問題は料理の味ではなく、私の味覚だ。
ストレス性のものは耳や鼻、口あたりに結構来ると、いつか誰かが言っていた。
そうなのかもしれない。母もストレスで難聴になったし、私も声が出なくなった。そして味覚も・・・・。
元々生まれつきの近眼で非常に目が悪いのに、喋れなくなって、味覚がなくなって、私はどうなってしまうのだろう。これで母の様に耳まで聞こえなくなってしまったら・・・・・。
時々、耳鳴りがして、その度に私は恐怖にかられた。
どうか、耳が聞こえなくなりませんように・・・・・・・!!!
私自身はそんなにストレスを抱えているという自覚はなかったのに、どうしてこんな事になっているのだろう。
声が出ない、味覚がない、そういう不安はストレスになる。それは自覚することができるが、根本的な原因は一体なんなのだろうか?
カウンセリングには月2回通っているけれど、正直これでなにが変わるのか?
と、いつも疑問に思う。
無意味に思えるようなカウンセリングでも、効いているかわからないお守り程度の薬も、今の私に必要なのだと言われれば受け入れる。
私にはそれしか出来ないから。
ふと、思う。
私の中には、私の知らない私が居て、そのもう一人の私が酷く辛い思いをしているのではないかと。
多重人格とは違う気がする。
私は記憶が無くなるから覚えていないけれど、それを覚えている自分が居て、その自分が辛いと身体にうったえているのではないかと。
多重人格は記憶のない間に他の人格が身体や心を支配するけれど、私にはおそらくそういった事はない。
ただ、忘れてしまうだけ・・・・・・・。
過去の記憶は曖昧で、最近のことも危うい。私の脳はやっぱりちょっとヘンだ。
どうしてこんなにすぐに忘れてしまうのか。嫌な事以外でも忘れてしまう。
それでも私は、日々少しずつ声が出るようになっていた。
自分では何が何だかわからない。何で出るようになっていったのか?何で出なかったのか?
初めは小さなかすれた声。
それからもう少し大きく話せるようになっていった。
だけど、くぐもった喉につかえるような声で以前の自分の声とは違ていた。
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食欲はあまりなかったが、元気になるためには食べなくてはと思い、少しずつ食事の量を増やすようにした。
気持ちが落ち込んでいる事も食欲のない原因ではあったが、味覚が鈍くなっていてあまり食べ物の味がわからないというのも食欲がわかない大きな要因のひとつだった。
何を食べても美味しくない、というかよくわからない。
味覚が鈍くなっていると気が付いたのは料理の味見をした時だった。
私は基本的に濃い味が苦手なので割と味覚は敏感な方なのだけれど、料理をお玉ですくって味見をしても濃いも薄いもわからいのだ。何度試してみても、やはりわからない。
私はあきらめて、素直に主人に打ち明けた。
「味覚がおかしくて味がわからないから、暫く味が多少おかしくても我慢して」
味見をしなくても、軽量スプーンやカップを使えば大きく失敗することはないし、大体の感覚があるので大きく味が変わるということはないだろう。
問題は料理の味ではなく、私の味覚だ。
ストレス性のものは耳や鼻、口あたりに結構来ると、いつか誰かが言っていた。
そうなのかもしれない。母もストレスで難聴になったし、私も声が出なくなった。そして味覚も・・・・。
元々生まれつきの近眼で非常に目が悪いのに、喋れなくなって、味覚がなくなって、私はどうなってしまうのだろう。これで母の様に耳まで聞こえなくなってしまったら・・・・・。
時々、耳鳴りがして、その度に私は恐怖にかられた。
どうか、耳が聞こえなくなりませんように・・・・・・・!!!
私自身はそんなにストレスを抱えているという自覚はなかったのに、どうしてこんな事になっているのだろう。
声が出ない、味覚がない、そういう不安はストレスになる。それは自覚することができるが、根本的な原因は一体なんなのだろうか?
カウンセリングには月2回通っているけれど、正直これでなにが変わるのか?
と、いつも疑問に思う。
無意味に思えるようなカウンセリングでも、効いているかわからないお守り程度の薬も、今の私に必要なのだと言われれば受け入れる。
私にはそれしか出来ないから。
ふと、思う。
私の中には、私の知らない私が居て、そのもう一人の私が酷く辛い思いをしているのではないかと。
多重人格とは違う気がする。
私は記憶が無くなるから覚えていないけれど、それを覚えている自分が居て、その自分が辛いと身体にうったえているのではないかと。
多重人格は記憶のない間に他の人格が身体や心を支配するけれど、私にはおそらくそういった事はない。
ただ、忘れてしまうだけ・・・・・・・。
過去の記憶は曖昧で、最近のことも危うい。私の脳はやっぱりちょっとヘンだ。
どうしてこんなにすぐに忘れてしまうのか。嫌な事以外でも忘れてしまう。
それでも私は、日々少しずつ声が出るようになっていた。
自分では何が何だかわからない。何で出るようになっていったのか?何で出なかったのか?
初めは小さなかすれた声。
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